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前のエッセイでは、傍観者の無関心とも呼ばれる傍観者効果を取り上げた。同じ問題状況に置かれたとき、傍観者が集団でいる場合のほうが、一人だけの場合より、実際に行動する可能性が低い。この結果は通常、多元的無知(緊急事態かどうかはっきりしないとき、一人ひとりが平静に見えるようにしながら、ほかの傍観者に目を走らせ、ほかの人たちも平静に見えるのを目にする)と、責任の分散(誰もが、ほかの誰かが最初に動いてくれるのを期待する。群衆の一員であることで個人にかかる圧力が弱まり、ついには誰も動かなくなる)によって説明される。
これは、私たちの狩猟採集民としての協調の仕組みが、現代の状況ではうまく働かなくなっている徴候かもしれない。祖先の環境では、普通は見知らぬ人たちと作業チームを組むことはなく、たいていは知り合い同士だった。実際、被験者が全員互いに知り合いだと、傍観者効果は弱まる。
さて、これが驚くべき革命的な観察だということは承知しているし、これを言ったショックで読者が即死したりしないことを願うのだが——どうやら人々は、インターネット上で出くわす問題に建設的に対応するのが苦手らしい。
おそらく、生まれつきの協調の本能が、次のような状況には調整されていないからだろう。
- 見知らぬ人の集団の一員であること。(被験者が全員互いに知り合いだと、傍観者効果は弱まる。)
- 規模のわからない集団の一員で、その構成員が誰なのかもわからないこと。
- 身体的に接していないこと(あるいは姿が見えないこと)。意味のある目配せができないこと。
- リアルタイムでやり取りしていないこと。
- ほかの形の助けについて互いに大きな恩義を負っていないこと。自分の属する集団に相互依存していないこと。
- 自分が見かけ上匿名であることで、評判の低下や、その恐れから守られていること。目に見える誰かに見られていて、何もしないことでその人からの評判が下がる、という状況ではないこと。
- ほかにも何もしない人が大勢いる集団の一員であること。自分だけが名指しで責められることはない。
- 助けを求める肉声を聞いていないこと。
などなど。私に、この問題を解く名案があるわけではない。だが、ネット企業の共同創業を考える人には、Facebookでどうやって羊を投げようかと考えるより、こういうことをこそ明示的に考えてほしい。(そう、Hacker Newsの君たちに言っている。)オンラインでの社会運動を支援するウェブアプリはある。だが多くは、署名してね! やった、何かに署名できたね!という調子で、ネット上で傍観者効果をどう打ち消し、動機を取り戻し、生来の集団協調の本能を活かせるだろうか?とは考えていない。
思いつくことをいくつか挙げよう。
- 助けを求める人の動画をネットに載せる。
- 最初に助けてくれた人たちの名前と写真、あれば短い動画も載せる(あるいは、貢献の量と新しさを組み合わせた、reddit風の優先順位アルゴリズムを用意する)。
- 活動の発起人がお礼を述べる動画を協力者に渡し、各自の「私が助けた人たち」ページに掲載できるようにする。十分に標準化すれば、そのページの一部または全部を自動で作り、個人のウェブページやFacebookアカウントへ簡単に埋め込めるようにできる。
- 「活動Xについて友人に知らせよう」を鬱陶しくなく実現する方法を見つける。紹介者を識別するリンクコードを使えるようにし、何人を活動に引き入れたかを表示する(紹介コードXで初めて訪れた人のうち、実際に貢献したり、ほかの行動を起こしたりした人は何人か)。
- (以上は寄付だけでなく、コードが寄せられたオープンソースのプロジェクトにも当てはまる。本当に嘆願書の署名だけが欲しいのなら、署名にも当てはまる。お金以外にも助ける方法はある——普通はお金が最も効果的ではあるが。肝心なのは、その支援が行われたことをオンラインで検証できることだ。)
- 実行したことを検証できる小さな作業に、金銭的な報奨を出しやすくする。
だが、ここで私が主に差し出しているのは、まだ解かれていない問題だ。見知らぬ人たちの集団が、インターネット上でまとまり、実効性のある作業チームになることを可能にする、あるいは容易にすること。ありがちな失敗のパターンや、これが祖先の環境にはなかった問題であることから生じる障害を乗り越えて。ウィキペディアを作るのに費やされた時間は、米国だけでテレビの視聴に費やされる時間の2000分の1に当たる、という以前の統計を思い出してほしい。燃料はそこら中にたっぷりある。ただ、よく働くエンジンさえあれば……。