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私たちの集団を作る本能が、全員が互いを知っている50人規模の狩猟採集集団に最適化されていることを考えると、現代の大組織がそもそも存続していることが奇跡のように思えてくる。
まあ、専門の軍隊や警察を持ち、税を徴収できる政府はある。これは祖先の環境にはなかった仕組みで、定住農業と徴収可能な余剰の出現にまでさかのぼる。人類は今なお、その扱いに苦労している。
中央集権的な経営陣が金の流れを管理する企業もある。これも祖先の環境にはなかった仕組みで、大規模な交易と職業の専門化の出現にさかのぼる。
そして、人口が多く人々が密接に接触する世界では、祖先の環境の平均的なものよりはるかに感染力の強いミームが進化する。地獄へ落ちるという脅しや天国の約束、そしてそれらを伝える職業的な聖職者階級を駆使するミームだ。
だが、おおむね、「大組織はどうやって存続するのか?」への答えは、「存続しない!」なのである。現代の大組織の圧倒的大多数は――その中には、複雑な文明を機能させるうえできわめて不可欠なものもある――そもそも成立すらしない。
私が最初にこのことに気づいたきっかけは、科学の資金がどう賄われるのかを理解したことだった。つまり、個人の寄付で賄われるのではないということだ。
科学の資金は伝統的に、政府、企業、大きな財団から出る。私には、科学のために個人から資金を集めるのが驚くほど難しいと、身をもって知る機会があった。見るも痛ましい患者のいる病気の研究でもないかぎり難しいし、そういう研究でも難しいかもしれない。
なぜだろう。実際、人々には社会のために行動する性向がある。たとえば犬の保護施設には寄付する。科学も、社会全体の大きな利益の一つだ。そのことは広く知られてさえいる。それなら、なぜ科学には寄付しないのか。
何か特定の科学研究、たとえば牛のトリパノソーマ耐性の遺伝学を調べる研究は、個人の寄付とは感情の面で相性がよくない。科学は長期的な視野を要する営みで、継続的な支援が必要だ。中間報告も、最終的な成果発表すら、それほど心を揺さぶるものには聞こえないかもしれない。ボランティアとして参加することもできない。専門家の仕事だからだ。相場並みか、それよりやや低い給与をあなたが支えている科学者の写真を見せられても、新しい飼い主のもとへ送り出すのを手伝った、つぶらな目の子犬の写真を見せられるほどの衝撃はない。個人が自分の金を使い続けるために必要な、すぐに返ってくる手応えや達成感が得られないのだ。
皮肉なことに、私がようやくこれを理解したのは、自分の仕事を通じてではなかった。「なぜセス・ロバーツの読者たちは集まって、彼の肥満に関する仮説を実験で検証する支援をしないのか? なぜ個人の慈善家は、バサードのポリウェル核融合装置の試験に資金を出さないのか?」と考えたときだった。これらは、明らかにばかばかしいほど資金不足の研究の例であり、正しければ、その応用は非常に多くの個人に関わるものになる。そのとき私は、完全に一般化して言えば、科学は人々が自分の金を使うことと感情の面で相性が悪いのだ、と思い至った。
実際、今の人々にとって、その相性がよいものはごくわずかしかない。これこそ、なぜ世界が今のように動いているのかを理解する鍵だと思う。なぜ個人の利益の多くが十分に守られていないのか。たとえば、米国の成人2億人が、連邦議会の535人を監督するのに、なぜこれほど苦労するのか。
では実際、科学の資金はどう賄われているのか。政府は科学にある程度の金を使うべきだと考え、立法府や行政府がそうすると決める。使うのは、厳密には彼ら自身の金ではない。十分に大きな企業は、すぐの実用化を目指さない研究開発に、ある程度の金を投じると決める。感情の死の螺旋を中心に育った大きな草の根組織は、自分たちの理想に合う科学に目を向けるかもしれない。大きな民間財団は、富裕層が自分の評判のためにまとめて割り当てた金をもとに、いかにも慈善的に聞こえそうな科学に資金を使う。オーケストラや現代美術への資金配分にいくらか似ている。そして科学者個人や個々の研究チームが、そうしてあらかじめ確保された資金を奪い合う。その資金は、科学者を審査するのにふさわしそうな、助成委員会の委員たちの手に委ねられている。
科学研究の計画が、社会を流れる資源の一部を直接求めることはめったにない。まず科学に資源が割り当てられ、そのあとで科学者たちが、実際に誰が受け取るかを争う。この原則の例外でさえ、科学者が一般の人々に訴えた結果というより、政治家の主導によるもの(月面着陸計画)や軍事目的のもの(マンハッタン計画)であることが多い。
もちろん、一般の人々に、個人寄付で特定の科学研究を支える習慣があったなら、たとえば量子論を装ったたわごとに、山ほどの金が浪費されるだろうとは思う。人々や社会のほかの何も変わらないまま、どういうわけか科学に寄付する習慣だけを身につけた、と仮定するならば。
それでも、科学が何とか存続しているのは、科学が行われることが私たち一人ひとりに共通する利益だからではなく、この世界で成立できる数少ない大組織の形態に、科学が寄生しているからだ、という点は興味深い。ほかには、そもそも成立すらしない計画が山ほどある。
現代の人類は、一人ひとりに共通する利益のために、足並みをそろえて努力することを、ほとんどできていないように思う。規模が50人を超えると、祖先の環境とかけ離れすぎた問題になるのだ。あるのは、巨大な徴税主体、巨大な交易主体、超強力なミーム、ときおり現れる強大な個人、そして科学のように、それらに寄生できる少数の組織だけである。