Yudkowsky Sequences 日本語訳
非公式日本語訳 — 原著者・発行元による公式の翻訳ではありません

Eliezer Yudkowsky — 非公式日本語訳

進化心理学

Evolutionary Psychology

「IRCチャット」や「TCP/IPプロトコル」と同じく、「生殖器官」という語句は冗長である。すべての器官が生殖器官なのだ。鳥の翼はどこから来たのか。飛ぶのは実に素敵だと思った「鳥の進化の妖精」からだろうか。鳥に翼があるのは、それが鳥の祖先の繁殖へ貢献したからである。鳥の心臓、肺、生殖器も同じである。せいぜい、直接的な生殖器官と間接的な生殖器官を区別する価値があるかもしれない。

この見解は、生物学に知られている最も複雑な器官系である脳にも当てはまる。欲情のように直接的な生殖器官である脳器官もあれば、怒りのように間接的なものもある。

人間の怒りという感情はどこから来たのか。怒りは備える価値のある特徴だと思った「人間の進化の妖精」からだろうか。怒りの神経回路は、あなたの肝臓と同じくらい確実に生殖器官である。ホモ・サピエンスに怒りが存在するのは、怒る祖先のほうが多くの子を残したからだ。それ以外に、怒りがそこへ入り込める道はなかった。

怒りの起源についての、この歴史的事実は、あまりにも多くの人を混乱させる。彼らは言う。「待ってくれ。私が怒っているとき、無意識に子どもを作ろうとしている、と言っているのか。誰かに鼻を殴られた後、そんなことを考えてはいない」

違う。違う。 違う。 違う!

個体生物は、適応度最大化器ではなく、適応実行者として捉えるのが最善である。適応の原因、適応の、適応の帰結は、すべて別のものである。あなたがトースターを作ったとして、食パンを一斤丸ごと押し込もうとしたとき、トースターが自ら形を変えるとは思わないだろう。確かに、あなたはトーストを作るためのものとして意図した。しかし、その意図はあなたについての事実であり、トースターについての事実ではない。トースターは自らの目的を理解していない。

しかしトースターは、意図を持つ物体ではない。そもそも心ではないので、私たちはトースターへ目標を帰属したくならない。私たちがトースターを目的のあるものと見ても、トースター自身がそれを知っているとは考えない。トースターが何かを知っているとは考えないからである。

これは、「」という文字の色を答えさせる、昔からあるテストに似ている。文字の意味と文字の色を解きほぐさなければならないので、被験者がこの色を答えるには時間がかかる。「」という文字の色を答えるときには、同じ問題は起きない。

しかし人間の脳は、進化によって歴史的に作られた産物であることに加え、自らの意図、目的、欲望、目標、計画を持てる心でもある。ハチも人間も設計されたものだが、設計者でもあるのは人間だけだ。ハチは「」であり、人間は「」である。

認知的原因は、進化的原因と存在論的に異なる。異なる種類の材料でできている。認知的原因はニューロンでできている。進化的原因は祖先でできている。

認知的原因のうち最も明白なのは、スーパーマーケットへ行く意図や、パンをトーストする計画のような、意識的なものである。しかし感情も、神経インパルスの連なりや、広がっていくホルモンの雲として、脳内に物理的に存在する。本能も、視覚像の閃きも、一瞬だけ抑え込まれた思考も同じである。脳を三次元で走査でき、そのコードを理解していたなら、それらを見ることができるだろう。

無意識の認知さえ、脳内に物理的に存在する。「権力は腐敗する傾向がある」とアクトン卿は述べた。スターリンは自分を、最大多数の最大幸福のために働く利他主義者だと信じていたかもしれないし、信じていなかったかもしれない。しかしスターリンの脳のどこかには、権力の行使を快く強化する神経回路と、権力の増減への予期を検出する神経回路があった可能性が高い。スターリンの脳に権力と相関するものが何もなかったなら――政治的支配で点灯し、政治的弱体化で消灯する小さなランプがなかったなら――スターリンの脳は、権力によって腐敗すべきだと、どうして知りえただろうか。

進化上の選択圧は、それが作る生物学的産物と存在論的に異なる。鳥の翼の進化的原因とは、競争相手より少しずつ改良された翼を持っていたため、ほかの祖先鳥より高い頻度で繁殖した何百万羽もの祖先鳥である。私たちは、この巨大な歴史的・統計的マクロ事実を圧縮して、「進化がやった」と言う。

自然選択は生物と存在論的に異なる。進化は、未発見の森に潜む小さな毛むくじゃらの生き物ではない。進化とは、祖先の繁殖史における、因果的・統計的な規則性である。

そして、この論理は脳にも当てはまる。進化は羽ばたく翼を作ったが、翼は羽ばたき性を理解しない。歩く脚を作ったが、脚は歩行性を理解しない。進化はカルシウムイオンから骨を削り出したが、骨そのものは強度という明示的概念を持たず、まして包括的遺伝適応度の概念など持たない。そして進化は、自ら設計できる脳を設計した。しかし、鳥が空気力学の概念を持たなかったのと同じく、その脳も進化の概念を持たなかった。20世紀まで、包括的遺伝適応度という複雑で抽象的な概念を明示的に表象した人間の脳は、一つとしてなかった。

「怒りの進化上の目的は、包括的遺伝適応度を高めることだ」と言われると、「怒りの目的は繁殖だ」から「怒りの認知的目的は繁殖だ」へ滑っていく傾向がある。違う! 祖先の歴史の統計的規則性は、無意識にでさえ、脳のにはない。トースターの中に、トーストについての設計者の意図がないのと同じである!

生まれつき備わる怒りの回路が、繁殖したいという明示的な欲望を具現していると考えるのは、あなたの手が、ものを拾いたいという心的欲望を具現していると考えるようなものだ。

あなたの手が、心的欲望から完全に切り離されているわけではない。特定の状況では、意志の働きによって指の曲げ伸ばしを制御できる。かがんで一セント硬貨を拾うなら、それは意志の働きを表しているかもしれない。しかし、そもそもあなたの手を成長させたのは意志の働きではない。

一回限りの特定の怒りの出来事(怒り1、怒り2、怒り3)と、怒りの基盤となる神経回路は区別しなければならない。怒りの出来事は認知的原因であり、それ自体が認知的な原因を持つこともある。しかし、怒りの回路が脳へ配線されるよう、あなたが意志したのではない。

したがって、怒りの出来事、怒りの回路、神経の鋳型を敷いた遺伝子複合体、その遺伝子複合体が存在する理由を説明する祖先のマクロ事実を、区別しなければならない。

もし本当に究極の細かな難癖要求する学問分野があるとすれば、進化心理学である。

おお、読者よ、この卑俗で喜ばしい物語を考えてほしい。ある男と女がバーで出会う。男は、女の澄んだ肌と張りのある乳房に惹かれる。祖先環境では生殖能力の手がかりだったが、この場合、それは化粧とブラジャーによるものだ。男は気にしない。ただ彼女の見た目が好きなのである。澄んだ肌を検出する男の神経回路は、自らの目的が生殖能力の検出だとは知らない。それは、男の手の原子に「<purpose>ものを拾う</purpose>」と書かれた小さなXMLタグが含まれていないのと同じだ。女は、男の自信ある笑顔と毅然とした態度に惹かれる。高い地位の手がかりであり、祖先環境では子どもへ資源を与える能力を意味したはずだ。女は避妊するつもりだが、自信ある笑顔の検出器はそれを知らない。トースターが、設計者はトーストを作らせるつもりだったと知らないのと同じである。女はこの反逆の意味を哲学的に気にかけない。女の脳は創造論者であり、進化の存在を激しく否定しているからだ。男もこの反逆の意味を哲学的に気にかけない。ただセックスがしたいからである。二人はホテルへ行き、服を脱ぐ。男は子どもが欲しいのではなく、セックスによるドーパミンとノルアドレナリンの高揚だけを欲しているため、コンドームを着ける。コンドームが存在しないことが祖先環境の不変の特徴だった五万年前、その高揚は確実に子孫を生み出した。二人はセックスをし、シャワーを浴び、それぞれ別の道を行く。主な客観的帰結は、バーとホテルとコンドーム製造会社の商売を存続させることだ。それは二人の心にあった認知的目的ではなく、二人が、この一連の行動を実行した脳を作る遺伝子を得た理由を説明する、五万年前の繁殖の重要な統計的規則性とも、事実上何の関係もない。

進化心理学について正しく推論するには、強く関連しながらも重要な点で異なる、複雑で抽象的な事実を多数、同時に考え、一度も取り違えたり混同したりしないことが必要である。