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昔々、若いエリエゼルは愚かな理論を持っていた。エリエゼル18の愚かな理論は、量子重力の中に隠れた閉じた時間的曲線によって意識が生じる、というものだったとしよう。これが全容ではなく、まるで足りないのだが、まずはそれでよい。
そして私はあるとき、振り返って気づいた。
- 道を誤る過程で、伝統的に合理的だと教えられたことは、すべて注意深く守っていた。たとえば、新しい実験的予測をする愚かな理論だけを信じるよう、気をつけていた。ニューロンの微小管がコヒーレントな量子状態を支えられると分かるはずだ、という予測などだ。
- 愚かな理論の検証に10年を費やし、結局否定的な実験結果しか得られなかったとしても、そのあと「まあ、私の理論は間違っていたのでしょう」と言いさえすれば、科学としてはまったく構わなかった。
科学の立場からすれば、物事はそう進むものだ。みんなハッピー、めでたしめでたし。間違いを認めた! 立派だ! 科学とは、そういうものではないか?
まあ……科学は、その点についてあまり語れなかった。実験で試す前に、どの理論が正しいか、どうして科学に言えるだろう。理論の出所を科学は気にしない。ただ、「検証しなさい」と言うだけだ。
これは科学の大きな強みであり、同時に大きな弱みでもある。
エリエゼル、なぜ検証できない問いを気にするのですか?
簡単に、すぐに検証できる問いでは、科学は間違えにくいからだ。
確かに、すでに明確で見まがいようのない実験的証拠があるなら、それに従えばよい。従わない理由がどこにあるだろう。
だが、ある問いが、将来のあなたに非常に大きく明確な実験的帰結をもたらすのに、今すぐには容易に実験できないこともある。それでも、強い合理的な論拠は存在することがある。
巨視的な量子重ね合わせは、簡単に検証できる。ナノテクノロジーの精度と、ごく低い温度と、きれいに何もない星間空間があればよい。もちろん、今すぐにはできない。費用が高すぎるとか、今の技術では不可能だとか、そんな理由で。だが理論上は、もちろんできる! いつか超空洞の、よく掃き清めた領域で、巨視的に重ね合わせられた量子コンピューター上に、文明全体を走らせるかもしれないではないか。(そのコンピューターの中の観測者を、量子非実在論はどう位置づけるかと問えば、量子非実在論がどれほど十分に規定されていないかが見えてくる。)
これは、あなたの生活にすぐ実用上の関係があるようには思えないだろう。だが、一つの型を示している。将来に帰結を持つことのすべてを、今、安く検証できるわけではない。
進化心理学も、科学から合理性へと役目を引き継ぐ必要がある例だ。進化心理学の理論は、つながり合う全体を形づくるが、その一部しか容易には実験で検証できない。それでも、ほかの部分も必要だ。実際に検証できる仮説を組み立てる助けになる、つながった網を作るからである。そのとき、補助する仮説はベイズ的には支持されるが、実験的に支持されるわけではない。全体として実験上の成果を生む理論の網でも、個々の部分について科学は「未証明」と判定するだろう。これには、「間接的に支持されている」といった、新しい種類の判定が必要になる。
では、クライオニクス(人体冷凍保存)はどうだろう。
クライオニクスは、きわめて重要で、見通せる将来に巨大な帰結をもたらすのに、今すぐ得られる明確で紛れのない実験的証拠がない問題の、典型例である。毎日15万人が死んでいるのだ。
だからといって、「実験で証明されていないので、クライオニクスは信じない。実験で証明されていないことを信じるべきではない」と言うだろうか。
ベイズ的な立場では、それは間違いだ。証拠の不在が不在の証拠となるのは、その証拠が現れると合理的に期待できる程度に限られる。誰かがインチキ薬でがんが治ると宣伝しているなら、本当にその薬ががんを治しているのなら、科学者が対照を置く研究をして確かめるだろうと、合理的に期待できる。少なくとも医師から、驚くべき回復の症例報告が出るはずだ。だから、そのような証拠がないことは、効果がないという強い証拠になる。だが、「化石記録の空白」は進化への強い反証ではない。化石ができるのはまれであり、中間的な種が実際に存在したとしても、自然が親切にも化石にし、その化石が発見されると、高い確率で期待することはできない。
クライオニクスで凍結した哺乳類を蘇生させるのは、将来のナノテクノロジーなら実際に蘇生を成功させられるとしても、現代の技術でできると期待するようなことではない。ベイズはこう見るだろう、と私は考える。
なお、クライオニクスを支持する実際の論拠には、今は立ち入らない。だが、物理学と反ゾンビの連載を追ってきたなら、シナプスのパターンを保存するものは、一晩眠って翌朝目覚めるまでに保存されるのと同じだけの「あなた」を保存する、という考えが、今ではずっともっともらしく感じられるはずだ。
公平を期すなら、「実験で証明されていないのでクライオニクスを信じない」と言う人は、科学の規則を誤用している。科学そのものが間違った答えを出す例ではない。確定的な実験がなければ、科学の判定は「未証明」だ。それを否定と解釈する人は、科学の内部で踏み外すのではなく、科学の外へ余分な一歩を踏み出している。
ジョン・マッカーシーのWikiquoteのページには、彼のこんな発言がある。「あなたの発言は、AIが可能なら簡単なはずだと言っていることになります。なぜですか?」1何への返答なのかは書かれていないが、推測はできそうだ。
この種の間違いが生じるのはおそらく、科学的な証明がないことが、強い証拠になる場合もあるからだ。実験が容易にできるなら、それをしていないこと自体が疑わしい。(もっとも、以前の私が思っていたほどではない。信頼される情報源から、奇妙なほど多様な体験談が集まっているというのに、セス・ロバーツの食欲抑制理論を、いったいなぜ誰も検証しないのか?2)
混乱を生むもう一つの要因は、薬剤Xを1,000人に試し、対照群の56%、実験群の57%が回復した場合に、それを「未証明」と呼ぶ人がいることかもしれない。私はそれを、「薬剤Xには、効くとしても大した効果はない」という実験上の判定と呼ぶ。新しい証拠によって理論上は撤回できるからといって、判定が曖昧になるわけではない。
いずれにせよ、今、クライオニクスを「科学的でない」と頭から退ける人がいる。まるで、1,000人の患者に簡単に投与して結果を見られる薬か何かのように。「クライオニクスで実際に誰かを蘇生できたら、教えてくれ」と彼らは言う。マイク・リーが指摘するように、これは「この救急車には乗らない。実際に病院へ着いたら呼んでくれ」と言うようなものだ。実験的証拠なしに奇妙なことを信じるなと、マーティン・ガードナーに警告されたのかもしれない。そうして、科学の明確で紛れのない判定を待っているあいだにも、家族、友人、毎日15万人の人々が、今まさに死んでいく。救えるかもしれないし、救えないかもしれない――。
――その見込みを計算した賭けは、合理性によってしか判断できない。
科学の原動力は、間違いうる人間の科学者でも読み違えようのない、巨大な証拠の山を得ることだ。だが、それさえときにはうまくいかない。どの理論が何を予測するかを混同したり、理論の初期版に、検証がきわめて難しい要素を組み込んだりするからだ。そして、明確な実験的証拠を、まったく得られないこともある。
どちらの場合も、科学が誰にも任せようとしないことを、やってみなければならない。合理的に考え、答えを頭に叩きつけられる前に見いだすことだ。
(そうそう、ときには反証となる実験結果がこんな姿をしている。「あなたの種が、たった今、全滅しました! 科学上、あなたは理論を手放さなければなりません。公に撤回するなら、立派なことです! 固く信じたことを捨てるには、強い心が必要だと忘れないでください。次は遠慮なく、別の仮説を試してください!」)
Wikiquoteからは削除されているが、マッカーシーの個人の名言ページには収録されている。 ↩︎
セス・ロバーツ「食べ物を太る原因にするのは何か――体重調節のパヴロフ的理論」(未公刊原稿、2005年)、http://media.sethroberts.net/about/whatmakesfoodfattening.pdf。 ↩︎