Yudkowsky Sequences 日本語訳
非公式日本語訳 — 原著者・発行元による公式の翻訳ではありません

Eliezer Yudkowsky — 非公式日本語訳

証拠の不在は不在の証拠である

Absence of Evidence Is Evidence of Absence

ロビン・ドーズのRational Choice in an Uncertain Worldより。1

実のところ、このように事後的に証拠を仮説へ当てはめることは、アメリカ合衆国史上のきわめて痛ましい一章、すなわち第二次世界大戦初期の日系アメリカ人の強制収容にも関わっていた。カリフォルニア州知事アール・ウォーレンが1942年2月21日、サンフランシスコで開かれた議会公聴会で証言した際、質問者は、その時点まで日系アメリカ人による破壊工作も、その他いかなる種類の諜報活動も起きていないと指摘した。ウォーレンはこう答えた。「私は、この[破壊活動の]不在こそ、われわれを取り巻く状況全体の中で最も不吉な兆候だと考える。おそらくほかのどの要因にもまして、このことは、今後起きる破壊工作や第五列の活動が、真珠湾攻撃とまったく同じように時期を見計らっているのだと私に確信させる……われわれは偽りの安心感に誘い込まれているだけだと、私は考える」

ウォーレンの議論をベイズ的な観点から考えてみよう。証拠を目にすると、その証拠に高い尤度を割り当てていた仮説は、その証拠に低い尤度を割り当てていた仮説を犠牲にして確率を増す。これは相対的な尤度と相対的な確率の現象である。ある証拠に高い尤度を割り当てていても、別の仮説がさらに高い尤度を割り当てているなら、その別の仮説に確率質量を奪われることがある。

ウォーレンは、破壊工作が見られないことが第五列の存在を確証すると論じているようだ。第五列が破壊工作を延期するかもしれないとは論じられるだろう。しかし、第五列が存在しない場合に破壊工作の不在が生じる尤度のほうが、やはり高い。

Eを破壊工作の観測、¬Eを破壊工作なしという観測とする。記号H1は日系アメリカ人の第五列が存在するという仮説を表し、H2は第五列が存在しないという仮説を表す。条件付き確率 P(E|H)、すなわち「HのもとでのE」とは、仮説Hが真だと仮定した場合に、証拠Eを見るとどれほど確信を持って予期するかを示す。

第五列が破壊工作を行わない尤度、つまり確率PE|H1)がどれほどであれ、それは、第五列が存在しないとした場合に破壊工作がない尤度、つまり確率PE|H2)ほど大きくはならない。したがって、破壊工作の不在を観測すれば、第五列が存在しない確率は上昇する。

破壊工作がないからといって、第五列が存在しないと証明されるわけではない。証明の不在は、不在の証明ではない。論理学では、(AB)――「AならばB」――は、(¬A ⇒ ¬B)――「非Aならば非B」――と同値ではない。

しかし確率論では、証拠の不在は常に、不在の証拠である。Eが二値事象であり、P(H|E) > P(H)、すなわちEを見ることでHの確率が上昇するなら、P(HE) < P(H)、すなわちEを観測できなかった場合にはHの確率が低下する。確率P(H)は、P(H|E)とP(HE)の重みつき混合であり、必ず両者の間に位置する。この話が少しでもわかりにくければ、ベイズの定理の直観的な説明を参照してほしい。

現実の状況の圧倒的大多数では、原因は自らの徴候を確実に生むとはかぎらないが、原因が存在しない場合にその徴候が生じる可能性はさらに低い。観測の不在が不在を示す強い証拠になるか、きわめて弱い証拠になるかは、原因がその観測を生み出す可能性に左右される。弱くしか許容されない観測が存在しないことは(代替仮説がその観測をまったく許容しないとしても)、不在を示すきわめて弱い証拠である(それでも証拠ではある)。これが「化石記録の空白」という誤謬である――化石はめったに形成されない。強い肯定的観測がすでに多数記録されているとき、弱くしか許容されない観測の不在を声高に訴えても無駄である。しかし、肯定的観測がまったくないなら、心配すべきときである。それゆえにフェルミのパラドックスがある。

合理主義者としてのあなたの強さとは、現実よりも作り話に強く困惑できる能力である。どんな結果でも同じようにうまく説明できるなら、あなたの知識はゼロである。モデルの強さを決めるのは、何を説明できるかではなく、何を説明できないかである。なぜなら、予期を制約するのは、禁止だけだからだ。モデルが証拠を起こりにくいものにしていることに気づかないなら、モデルなど持たないのと同じであり、証拠も持たないのと同じであり、脳も目も持たないのと同じである。

Robyn M. Dawes, Rational Choice in An Uncertain World, 1st ed., ed. Jerome Kagan (San Diego, CA: Harcourt Brace Jovanovich, 1988), 250-251.