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宇宙は小さなビリヤード球でできているのでも、エーテルの池に立つ山や谷でできているのでもない……。それなら、ものを作っているものとは、いったい何なのか?
図1
図1には、Aに置かれた半透鏡と、検出器1・検出器2という二つの光子検出器がある。
初期の科学者たちは、こうした実験をすると、その結果の意味がわからなくなった。半透鏡へ光子を送ると、半分の回では検出器1がカチッと鳴り、残り半分では検出器2が鳴るのだった。
初期の科学者たちは——笑ってしまうだろうが——銀を塗った鏡は半分の回で光子を曲げ、半分の回で通すのだと思った。
ははは! まるで半透鏡が、そのつど違うことをするかのように! この考えは捨ててほしい。初期の科学者の考えにしがみつくと、ひどく混乱するからだ。半透鏡は、毎回同じ規則に従う。
この実験そのものであるコンピュータープログラムを書くとしたら——実験結果を予測するプログラムではなく、その背後の現実に似たプログラムを——だいたい次のようになるだろう。
プログラムの開始時(実験の開始時、時間の始まり)には、配置と呼ばれるある数学的な実体がある。この配置は、「光子源から半透鏡へ向かう光子が一つある」、あるいは単に「Aへ向かう光子」に対応すると考えてよい。
配置には、一つの複素数値を格納できる。「複素」とは、iを−1と定義する複素数(a + bi)のことだ。プログラムの開始時には、「Aへ向かう光子」という配置に、すでに複素数が格納されている。ゼロでなければ、正確な値は何でもよい。この「Aへ向かう光子」という配置の値を、(−1 + 0i) としよう。
これはすべて、現地そのものの事実であって、誰かの知識の記述ではない。配置は命題でも、世界がありうる姿でもない。プログラム内の変数であり、「Aへ向かう光子」を添字とする記憶場所のようなものだと思えばよい。それは現地に実在する。
配置に割り当てる複素数は、0から1の間の正の実数ではないので、確率と取り違える心配はない。「Aへ向かう光子」の複素数値は−1であり、これを確信度と見るのは難しい。複素数はプログラム内の値であり、これも現地に実在する。この複素数を振幅と呼ぶことにしよう。
ほかに二つの配置がある。「Aから検出器1へ進む光子」と「Aから検出器2へ進む光子」と呼ぼう。この二つにはまだ複素数値がない。プログラムの実行に伴って割り当てられる。
「Aへ向かう光子」の値と、Aにある半透鏡を記述する規則を使って、「Aから1へ向かう光子」と「Aから2へ向かう光子」の振幅を計算する。
おおまかに言うと、半透鏡の規則は「光子が直進するなら1を掛け、直角に曲がるならiを掛ける」だ。これは、「入っていく光子」という配置の振幅と、「まっすぐ出てくる光子」または「曲げられる光子」という配置へ流れる振幅を結ぶ、普遍的な規則である。1
そこで、「Aへ向かう光子」という配置の振幅 (−1 + 0i) を、Aの半透鏡へ送り込む。すると「Aから1へ向かう光子」へは (−1 + 0i) × i = (0 − i) の振幅が送られ、同時に「Aから2へ向かう光子」へは (−1 + 0i) × 1 = (−1 + 0i) の振幅が送られる。
図1の実験で考慮すべき配置も、送られる振幅も、これですべてなので、作業は終わりだ。あるいは「検出器1が光子を受け取る」と「検出器2が光子を受け取る」を別々の配置として考えたければ、それぞれ「Aから1へ」と「Aから2へ」の値を受け継ぐだけでよい。(実際には、受け継ぐ値に、Aから検出器までの距離に対応する別の複素数の係数を掛けるべきだ。だが今はこれを無視し、この実験で移動する距離はすべて、たまたま複素数の係数1に対応するとしよう。)
したがってプログラムの最終状態は、次のとおりだ。
配置「Aへ向かう光子」:(−1 + 0i)
配置「Aから1へ向かう光子」:(0 − i)
配置「Aから2へ向かう光子」:(−1 + 0i)
必要なら、さらに
配置「検出器1が光子を受け取る」:(0 − i)
配置「検出器2が光子を受け取る」:(−1 + 0i)。
プログラムを動かすたび、つまり実験するたび、同じ結果になる。同じ配置に、同じ振幅が格納される。
さて、ここでは立ち入らない複雑な理由で——原子がクォークより複雑なのと同じように、基礎的な量子力学より高い組織化の階層に属する事情によって——各配置の正確な振幅を直接教えてくれる単純な測定器はない。プログラムの状態を直接見ることはできないのだ。
では物理学者は、振幅をどうやって知るのだろう?
配置の振幅の絶対値の二乗を教えてくれる魔法の測定器なら、ある。元の複素振幅が(a + bi)なら、正の実数(a2 + b2)を得られる。ピタゴラスの定理を思い出してほしい。複素数を、二次元平面の原点から伸びる小さな矢印だと考えると、魔法の道具はその小さな矢印の長さの二乗を教えてくれるが、矢印の向きは教えてくれない。
もっと正確に言えば、魔法の道具が教えるのは、いくつかの配置の振幅の長さの二乗の比だけだ。矢印の絶対的な長さはわからず、互いに比べた長さだけがわかる。だがそれでも、物理法則、つまりプログラムの規則を復元するには十分な情報なのだ。だから私も、絶対値の二乗の比だけでなく、振幅そのものについて話せる。
「検出器1が光子を受け取る」と「検出器2が光子を受け取る」に魔法の道具をかざすと、この二つの配置では絶対値の二乗が同じ、つまり矢印の長さが同じだとわかる。魔法の道具はそう告げる。もっと複雑な実験をすれば、元の複素数の比がi対1だったともわかる。その実験はすぐ後で見る。
では、この魔法の測定器とは何なのか?
日常生活の視点では——量子の階層より、はるかに、はるかに、はるかに上で、ずっと複雑な視点では——光子を一つずつ半透鏡へ送り、数千回試して、検出器1に着く数と検出器2に着く数を数えることが、その魔法の測定器だ。この二つの数の比は、振幅の絶対値の二乗の比になる。だが、その理由はまだ考えない。走る前に歩こう。ずっと単純な場合に何が起こるかを理解せずに、日常生活というずっと上の階層で何が起こるかは理解できない。
今日は、絶対値の二乗の比を読み取る魔法の道具がある、としておこう。それは、「検出器1が光子を受け取る」という配置の小さな二次元の矢印と、「検出器2が光子を受け取る」の矢印とでは、長さの二乗が等しい、と教えてくれる。それだけだ。
「魔法の道具がそう動くなら、半透鏡は半分ほどの回で光子を反射すると考えずに、量子論を使う理由は何なのか」と疑問に思うかもしれない。
だが、そんなふうに歴史を忠実になぞる思考に身を置き、日常の直感を使うのは、わざわざ混乱を招くようなものだ。私が、小さなビリヤード球がどちらかへ進み、場合によっては鏡で跳ね返る、などと一言でも言っただろうか? 現実はそんなふうには動かない。現実にあるのは、配置の間を流れる複素振幅であり、その流れの法則は変わらない。
それでも、ビリヤード球の考え方では扱えない、もっと複雑な状況を見たいというなら、次の実験がある。
図2
図2では、BとCは全反射鏡、AとDは半透鏡だ。DからEへの線が破線なのは、後でわかる理由によるが、DからEへも、まったく同じ法則で振幅が流れている。
先ほど学んだ規則を適用しよう。
時間の始まりでは、「Aへ向かう光子」の振幅は (−1 + 0i) だ。
続いて、「AからBへ進む光子」と「AからCへ進む光子」という配置の振幅を計算する。
| “AからBへ進む光子” | = | i × “Aへ向かう光子” |
| = | (0 − i) . |
同様に、
| “AからCへ進む光子” | = | 1 × “Aへ向かう光子” |
| = | (−1 + 0i) . |
全反射鏡は、予想どおり、半透鏡の半分のように振る舞う。直角に曲げ、iを掛けるだけだ。(もう少し正確に言うと、全反射鏡では、入っていく光子の配置から、直角に曲がって出ていく光子の配置へ流れる振幅に、係数iを掛ける。)
したがって、
| “BからDへ進む光子” | = | i × “AからBへ進む光子” |
| = | (1 + 0i) , | |
| “CからDへ進む光子” | = | i × “AからCへ進む光子” |
| = | (0 − i) . |
「BからDへ」と「CからDへ」は二つの異なる配置だ。単に「Dにある光子」とは書かない。この二つでは、光子が違う角度から到着するからだ。そしてDが光子に何をするかは、その到着角度に依存する。
繰り返すと、大まかな規則はこうだ。半透鏡で光が直角に曲がるとき、光子が入る配置から光子が出る配置へ流れる振幅は、入る配置の振幅にiを掛けたものになる。そして、半透鏡を光がまっすぐ通る関係にある二つの配置では、入る配置から流れる振幅に1を掛ける。
したがって、
- 配置「BからDへ進む光子」の元の振幅は (1 + 0i):
- (1 + 0i) × i = (0 + i) の振幅が、「DからEへ進む光子」へ流れる。
- (1 + 0i) × 1 = (1 + 0i) の振幅が、「DからFへ進む光子」へ流れる。
- 配置「CからDへ進む光子」の元の振幅は (0 − i):
- (0 − i) × i = (1 + 0i) の振幅が、「DからFへ進む光子」へ流れる。
- (0 − i) × 1 = (0 − i) の振幅が、「DからEへ進む光子」へ流れる。
ゆえに、
- 配置「DからEへ進む光子」へ流れる振幅の合計は、(0 + i) + (0 − i) = (0 + 0i) = 0。
- 配置「DからFへ進む光子」へ流れる振幅の合計は、(1 + 0i) + (1 + 0i) = (2 + 0i)。
(途中でわからなくなったら、紙とペンで自分で計算してみるとよい。)
だが、私たちが普通の生活だと思っている、途方もなく高い階層の「実験」の視点での結果は、Eでは光子が一つも検出されないということだ。どの光子もFに着くように見える。「DからEへ」と「DからFへ」の絶対値の二乗の比は、0対4だ。この図でDからEへの線が破線なのは、そのためである。
半透鏡が、やって来た小さなビリヤード球を半分の回で曲げる、と考えていては、これは説明できない。振幅の流れで考えるしかないのだ。
半透鏡が小さなビリヤード球を半分の回で曲げるなら、この装置では球は半分ほどの回で検出器1に、半分ほどの回で検出器2に着くはずだ。だがそうはならない。だから、そう考えないでほしい。
「ちょっと待った! この結果を説明する別の仮説なら思いつく。半透鏡は光子を反射するとき、次には反射されないよう光子に何かをするのでは? まっすぐ通すときには、次は反射されるようにするのでは?」と言うかもしれない。
いや、本当に、規則をそこまで複雑にする必要はない。オッカムの剃刀を思い出そう。配置の間の、単純で普通の振幅の流れにしておけばよい。
それでも、新しい対立仮説を否定する別の実験が欲しいなら、図3がそれだ。
図3
ここでは、実験装置全体をそのままにして、BとDの間に小さな遮蔽物を置いただけだ。これで「BからDへ進む光子」の振幅は0になる。
その配置からの振幅の寄与を取り除くと、合計は「DからFへ進む光子」では (1 + 0i)、「DからEへ進む光子」では (0 − i) になる。
(1 + 0i) と (0 − i) の絶対値の二乗はどちらも1だから、魔法の測定器はその比が1だと示すはずだ。ずっと上の、物理学者が存在する階層では、検出器1が半分の回で反応し、検出器2も半分の回で反応するはずである。
遮蔽物をCとDの間に置いても同じことになる。振幅は違うが、絶対値の二乗の比はやはり1なので、検出器1が半分の回、検出器2が半分の回で反応する。
半透鏡に反射されるか、されないかのどちらかである小さなビリヤード球では、こんなことは絶対に起こりえない。
複素数は、1と−1、あるいはiと−iのように逆向きになれるので、振幅の流れは互いに打ち消し合える。配置Xから配置Yへ流れる振幅は、配置Zから配置Yへ流れる、大きさが等しく逆向きの振幅に打ち消されうる。実際、この実験で起こっているのは、まさにそれだ。
確率論では、何かが一方か他方、つまりXか¬Xのどちらかで起こるなら、P(Z) = P(Z|X)P(X) + P(Z|¬X)P(¬X)だ。そして確率はすべて正だ。だから、Xの場合にZが起こる確率が1/2、Xが起こる確率が1/3だと確かめたなら、¬Xの場合に何が起ころうと、Zが起こる全体の確率は少なくとも1/6になる。負の確率、不可能よりも低い確信度、(0 + i) の信頼度などはない。だから確信度は、振幅のようには打ち消し合わない。
そもそも確率は心の中にある。そして私たちが論じているのは、人間の認知や部分的な知識の状態についてではなく、現地、つまり現実そのものであるプログラムについてなのだ。
同じ理由で、配置は命題でも、言明でも、考えられる世界のあり方でもない。意味論上の構成物ではない。信念や文や可能世界ではないので、ありそうなといった形容は当てはまらない。真でも偽でもなく、ただ実在するのだ。
図2の実験で、「光子はBかCのどちらかへ行くが、もう一方へも行けたかもしれない。そして、この可能性が、Eへ行くことを妨げる……」などとは考えないでほしい。
「起こりえたが、起こらなかった」ことが世界へ影響を及ぼすと考えても、意味をなさない。「うわ、あの車にひかれるところだった」のように、起こりえたが起こらなかったことを想像はでき、その想像は今後の行動に影響しうる。だが、想像するという出来事は実際に起こる、実在の出来事であり、影響を持つのはそれだ。実在しない出来事についての想像——まぎれもなく物理的な脳の中で実現される、とても実在的な想像——が、行動に影響する。
車にひかれるという出来事そのもの——起こりえたが実際には起こらなかった出来事——が、あなたの行動へ直接因果的な影響を及ぼすと考えるのは、地図と現地を取り違えることだ。
世界へ影響するものは実在する。(「実在」せずに世界へ影響できるのなら、「実在」という言葉の意味がわからない。)配置と振幅の流れは原因であり、目に見える結果をもたらす。実在するのだ。椅子が可能世界ではなく、空が確信度ではないのと同じように、配置は可能世界ではなく、振幅は確信度ではない。
それなら配置とは、何なのか?
それは後の記事で、もっとはっきりしてくる。
ただ、本当の姿が、この記事の単純化した版とどう違うのかを、手短に示すと……。
今回の装置で扱った動く粒子は、一つの光子だけだった。本当の配置は、複数の粒子についてのものだ。次の記事では粒子が二つ以上ある場合を扱う。それで、配置とは何かがずっとはっきりするはずだ。
ここで取り上げた配置はそれぞれ、本来なら、飛び回る一つの光子の位置だけでなく、鏡や検出器に含まれるすべての粒子の位置を、一組にまとめて記述しているべきだった。
実際、本当に実在する配置が扱うのは、実験者を構成する粒子も含めた、宇宙の全粒子の位置の組だ。実験結果という概念を後の記事に取っておく理由が、わかるだろう。
現実世界では、振幅は、連続的な配置空間上の連続分布だ。この記事の「配置」は角張ったデジタルなもので、「振幅の流れ」もそうだった。まるで光子が一つの場所から別の場所へ瞬間移動するような話だったのだ。
今の説明がまるでわからなくても、心配はいらない。後の記事ではっきりさせる。ここでは、話の進む先を少し示したかっただけだ。
[編集者注:厳密には、標準的な半透鏡の規則は「光子が直角に曲がるとき−1を掛ける」であり、「iを掛ける」ではない。著者が描く基本的な状況は物理的に不可能なわけではなく、それを使っても議論の本筋には影響しない。だが、物理を学ぶ読者が、ここでの説明を教科書のマッハ・ツェンダー干渉計の説明と比べると、混乱するかもしれない。この独特な扱いを本文に残したのは、鏡のどちら側を半透過にしているかを指定する必要がなくなり、実験が単純になるからだ。]↩︎