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量子力学は、混乱して当然のものだという考えが広くある。教える側にも学ぶ側にも、これはよい心構えではない。
そして私の経験では、伝説的に「わけがわからない」とされる話題も、数学としてはそれほど複雑でないことが多い。特に、そこで何が起きているのかについて、ごく基本的な、それでも数学的な理解を得たいだけなら、そうだ。
私は物理学者ではない。そして、専門の物理学者でない人が量子力学について語るのを、物理学者が嫌うのは有名だ。だが、「理解しにくい」とされる数学的なことを説明する経験は、いくらかある。
「ベイズ推論の直感的な説明」を書いたのは、ベイズの定理は「直感に反する」と人々がこぼしていたからだ。実際、直感に反することで有名だった。だが、それはおかしいと思った。その方程式は、恐ろしげな評判に値するほど、複雑には見えなかったのだ。そこで、自分流に説明してみた。当初目指した小学生には届かなかったが、かつて混乱していた人々から、記者や、専門外の大学教授に至るまで、感謝のメールが頻繁に届く。
それに、ベイズ主義者として、私は本質的にわけのわからない現象など信じない。混乱があるのは、世界そのものではなく、私たちの世界のモデルだ。ある話題が、単に難しいのではなく、わけがわからないことで広く知られているなら……そのままにしてはいけない。それでは十分とはいえず、受け入れてよい状態でもない。問題を直せるかもしれないし、直せないかもしれない。だが、生徒が混乱したままであることに満足してはいけない。
私の入門が、量子力学の従来の標準的な入門と最初に違うのは、量子力学は混乱して当然のものだとは、言わないという点だ。
リチャード・ファインマンがかつて述べたように、誰も量子力学を理解していないのだから、あなたが理解できなくてもかまわない、とは言わない。歴史上、それが本当だった時期はある。だが、私たちはもはやその時代には生きていない。
「量子力学は理解するものではない。慣れるだけだ」とも言わない。フォン・ノイマンが言ったとされる言葉だ。実際に誰も量子力学を理解していなかった、暗い数十年のころの話である。
説明は、混乱を減らすものであるべきだ。何かわからないと感じるなら、そこには問題がある。あなたの側か、教師の側かはともかく、問題である。だから、その問題を解決するよう動くべきだ。
私は量子力学が奇妙だとか、異様だとか、不可解だとか、異質だとかは言わない。量子力学は直感に反する。だが、それはあなたの直感の問題であって、量子力学の問題ではない。量子力学は、星間の水素が凝集して太陽ができるより何十億年も前から存在していた。あなたより先にここにあったのだ。それが気に入らないなら、変わらなければならないのはあなたのほうである。量子力学は変わらない。驚くべき事実など存在しない。事実に驚くモデルがあるだけだ。そして、モデルが事実に驚いたからといって、そのモデルの手柄にはならない。
現実は、完全に普通のものだと考えるのが、いつでもいちばんよい。始まりからこのかた、普通でないことなど一度も起きていない。
目標は、量子の宇宙にすっかりなじむことだ。そこで生まれ育った者のように。実際、あなたが暮らしているのは、そこなのだから。
これから始める量子力学の連載では、量子力学は完全に普通であるものとして、一貫して話す。人間の直感が量子力学と食い違ったら、奇妙で普通でない直感のほうをからかうつもりだ。おかしく思えるかもしれないが、狙いは、量子世界で生まれ育った者の視点へ、あなたの心を向け直すことにある。
もう一つ。従来の量子力学入門は、量子力学が発見された順序を、かなり忠実になぞっている。
従来の入門は、物質が、ぶつかり合う小さなビリヤードの球のように振る舞うこともあれば、水面を伝わる山や谷のように振る舞うこともある、と言うところから始まる。そして、小さなビリヤードの球として振る舞う例と、海の波として振る舞う例を、いくつか示す。
たしかに、物質を研究する人々がこれらを解き明かそうとし、その背後にある本当の数学には何の見当もついていなかったころ、初期の科学者は、まず物質は小さなビリヤードの球のようなものだと考えた。次には海の波のようなものだと考え、またビリヤードの球のようなものだと考えた。そして、本格的に混乱した。その状態は数十年続き、20世紀後半になって、ようやく整理された。これは歴史的事実だ。
現代の生徒をこの過程すべてに引きずり回すのは、歴史に忠実な入門法かもしれない。だがそれでは、まったく途方に暮れるという、歴史に忠実な結果も確実に得られる。物理学者を目指す若者に「波と粒子の二重性」を語るのは、化学を学ぶ人に四元素説から教え始めるようなものだ。
電子はビリヤードの球ではないし、水面を伝わる山や谷でもない。電子は、いつでも、どんな状況でも、数学的に別の種類の存在だ。それ自体として受け入れなければならない。
宇宙は、粒子と波のどちらを使うか決められず、迷っているのではない。行ったり来たりするのは、量子力学についての人間の直感だけだ。ビリヤードの球についての直感と、水面の山や谷についての直感は、時や状況によって、それぞれ電子にもなんとなく当てはまりそうに見える。だが、本当はどちらも単に当てはまらない。
電子を、ある日はビリヤードの球のようなもの、別の日には海の波のようなものだと考えようとすれば、徹底的に混乱することになる。
それでも、ぐらついて不安定なのは、世界ではなく、あなたの目のほうだ。
さらに、こういうこともある。
人類が物事を発見した順序は、必ずしもそれを教える最善の順序ではない。まず人類は、ほかの動物が走り回っていることに気づいた。次に切り開いて、臓器が詰まっていると知った。臓器を詳しく調べると、組織でできていた。組織を顕微鏡で見ると細胞が見つかり、それはタンパク質や、ほかの化学的に合成されたものでできていた。それらは分子でできており、分子は原子で、原子は陽子と中性子と電子でできている。これらは動物全体よりはるかに単純なのに、発見されたのは何万年も後だった。
物理学は生物学の話から始めたりしない。ならば、なぜ、たとえば実験で観測された結果のような、非常に高い水準の複雑な現象から始めるべきなのだろう?
普通の量子力学の教え方では、実験結果を繰り返し強調する。合理主義の観点から、それがよさそうに聞こえる理由はわかる。本当に、わかっている。
だが、その結果、生徒が最も単純な場合に根本では何が起こっているのか理解する前に、現実の状況を分析するための、大きく複雑な数学的道具を持ち込むことになっているように思える。
それは、二つの変数を足す方法も知らないプログラマーに、並行マルチスレッド・プログラムの書き方を教えようとするようなものだ。そちらのほうが日常生活に近いから、という理由で。日常生活に近いことは、何を先に教えるべきかの、強い根拠になるとは限らない。
根本で何が起きているか誰も理解せず、そこから始めることもできず、モデルがすべて、実験をうまく予測するだけの謎めいた数学だった、暗い数十年には、実験観測だけに執着する意味があったのかもしれない。量子物理学のこのような捉え方は、今でも多くの本に見つかる。だが今は、別の角度を試す価値があるのではないか? 標準的な方法が生むのは、標準的な混乱だ。
古典的な世界は量子の世界に厳密に内包されているが、古典的な視点から見ると、何もかもが大きく複雑になる。
日常生活は、もっと高次の構成の水準にある。分子とクォークのようなものだ。分子の種類の一覧は膨大だが、クォークは6種類。まず量子世界の視点から教え、古典的な実験結果はその後で話すことを、試す価値はあると思う。
私は、普通の古典的世界から始めて、その舞台裏に奇妙な量子的背景が隠れている、という話はしない。舞台そのものが量子世界であり、それが普通というものを定めるのだ。
古典的世界が現実の暮らしで、ときどき実験結果を求めるリクエストを量子物理サーバーに送り、サーバーが奇妙な計算をして、古典的な実験結果を送り返してくる、というようにも話さない。本当に実在するのは量子世界で、古典的世界は遠くにあるものとして話す。そうすれば量子の宇宙の住民になりやすい、というだけではない。根本の水準では、それが真実だからだ。
最後に、私は量子力学について、徹底して実在論的な立場を取る。量子世界は本当に外にあり、方程式は地図ではなく領土を記述し、古典的世界は量子世界の中に暗黙に存在するだけだ。入門の初期段階では、非実在論者が根拠にする特定の直感になぜ惑わされるべきでないかを説明する以外、非実在論的な見解は扱わない。この方針を詫びるつもりはないし、量子力学について非実在論的な立場の読者には、後の記事で求めるまでコメントを控え、待っていてほしい。お願いしたい。私は、非実在論が初学者を混乱させ、量子現象を具体的に思い描くのを妨げる、大きな要因の一つだと考えている。論点は、今後の記事で明示的に必ず論じる。
ただし、最初には論じないにせよ、量子力学の実在論的な視点に異を唱える科学者が相当数いることは知っておいてほしい。私は、両方の立場で考える価値はないと思っている。これから明らかにする理由で、徹底した実在論者だ。だから、この入門を読めば、得られるのは私の見方である。私だけの見方というわけではない。理論物理学者の間では、おそらく多数派だ。それが何かの意味を持つなら、ということだが。私は世論調査とは別に、この問題を論じるつもりだ。それでも、現代の物理学界にある唯一の見方ではない。他の見解をすぐに提示する義務は感じないが、ほかの見解も存在すること、そして入門の初期にはそれを紹介しないことは、読者へあらかじめ伝える義務があると感じている。
要するに、私の目標は、しぶしぶ来た観光客ではなく、量子の宇宙で生まれ育った者のように考えることを、あなたに教えることだ。
現実を受け入れよう。ぎゅっと抱きしめよう。