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伝統的な合理性は、社会的な規則の言葉で語られる。その違反は、ずるをすること、協力の規範からの離反だと解釈できる。あなたが何かの信念を私に受け入れてほしいなら、一定量の証拠を示す義務がある。逃れようとすれば、義務をごまかしていることは皆に分かる。理論は、ほかの理論が苦労して導き出した予測を横取りするだけではなく、自ら大胆な予測を行う義務がある。理論は反証の危険に自らをさらす義務がある。それを避けようとするのは、恐ろしい入会の儀式から逃げようとするようなものだ。払うべき代償は払わなければならない。
伝統的な合理性は、人間社会を律する慣習に似た言葉で語られる。そのおかげで、口伝えで伝えやすい。人間は、抽象的な論理規則への違反よりも、それと同じ構造を持つ社会的なごまかしのほうを、はるかに確実に見抜ける。しかし、合理性を社会的な義務と捉えると、いくつか奇妙な考えが生まれる。
たとえば、信仰を持つ人が「でも、あなただって科学を信じることを正当化できないでしょう!」と言って、自分の信念を守ろうとすることがある。つまり、「正当化されていない信念を持つからといって、よくも私を批判できますね、この偽善者! あなただって同じことをしているじゃないですか!」というわけだ。
ベイズ主義者にとって、脳は正確さを生み出すエンジンである。現実と結びついた証拠を処理し、集約して、領土を反映する地図を作る。合理性の原則は、熱力学第二法則と同じ意味での法則だ。信頼できる信念を得るには、計算可能な量の、現実と結びついた証拠が必要になる。冷蔵庫の中身を確実に冷やすには、計算可能な最低量の自由エネルギーが必要なのと同じである。
原理的には物理法則は時間反転可能なので、冷蔵庫が自発的に冷え、同時に発電する確率も、途方もなく小さいながら存在する。数学者以外にはゼロと区別がつかないほどの確率だ。一度も訪れたことがなくても、ブラインドを閉め、インターネットにもつながず、居間に座ったままニューヨークの詳細な街路図を正確に描ける確率は、それよりは少し大きいが、やはり途方もなく小さい。まあ、期待して待ちはしないことだ。
見たことのない領土の地図を描こうとする前に、室温の水をコップに注ぎ、自然に凍るまで待ってから先へ進もう。そうすれば、成功確率が途方もなく小さいことは無視してよい、という一般的なやり方が、きちんと働くと確認できる。とくにニューヨークへ一度も行かないなら、自分の地図が間違っていることには直接気づかないかもしれない。だが、水がひとりでに凍らないことは見て分かる。
合理性の規則が社会的な慣習なら、ほかの人も同じことをしていると指摘すれば、行為Xは許されるように思えるかもしれない。私たち自身が証拠を示せないのに、あなたに証拠を要求するのは公平ではないだろう。私たちは誰もほかの人より優れているわけではないと悟り、態度を和らげ、慈悲深くも、信念の証拠を示すという社会的な義務からあなたを免除するだろう。そして皆、自由・友愛・平等のもとで、いつまでも幸せに暮らすのだ。
合理性の規則が数学的な法則なら、ほかの人も同じことをしていると指摘して証拠のない信念を正当化しようとしても、崖から落ちるべきでない理由を30個並べるのと同じ程度の効果しかない。冷蔵庫に電気が必要なのは不公平だと全員で投票して決めても、冷蔵庫はやはり動かない(確率はほぼ1だ)。ニューヨークへ行く必要はないはずだと全員で投票して決めても、地図はやはり間違っている。自然の女神がこうした嘆願に無関心なのは有名だし、数学の女神も同様である。
だから、伝統的な合理性の社会的な言葉に戻るなら、ほかの人も根拠のない信念を持っているのだから、自分もXYZについて好き勝手に信じてよい、と主張して済ませられると思わないでほしい。契約の両当事者が同じくらいひどい振る舞いをしたなら、人間の裁判官はどちらにも罰則を科さないと決めるかもしれない。だが、二人の技術者が同じくらいひどいエンジンを設計すれば、どちらのエンジンも動かない。一方の設計ミスは、もう一方の設計ミスを帳消しにはしない。私がXYZについて間違っていても、あなたの助けにはならないし、規則から免除されるわけでもない。ただ、二人とも困ったことになるだけだ。
自由民主主義国の人間の法律では、誰もが自分自身の信念を持つ権利を有する。自然の法則では、正確である権利は保証されない。少なくとも賢明な国々では、奇妙なことを信じているからといって人を逮捕しない。しかし、正確な信念を生み出すには証拠が必要だという法則は、誰にも撤回できない。人類全体が投票しても、自然の法廷で慈悲を得ることはできない。
物理学者が物理法則を決めるのではない。どんな法則なのかを推測するだけだ。合理主義者が合理性の法則を決めるのではない。私たちも、どんな法則なのかを推測するだけだ。もともと合理的でないものを、あとから「合理化」することはできない。並外れた説得力で、あなたには重力の法則が適用されないと世界中の物理学者を納得させても、崖から踏み出せば落下する。「私たちが決めるのではない」と言うことさえ、擬人化が過ぎる。あなたを免除できる上位の権威などない。あるのは原因と結果だけだ。
今回だけは見逃してほしいと懇願するとき、このことを思い出してほしい。私たちには、あなたを免除することはできない。私たちが決めることではないのだ。