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あなた方のごく初期の哲学者の一人は、完全な能力を備えた心なら、どの宇宙であれ、そこに属する一つの事実または人工物を研究することで、創造された瞬間から最終的な終わりまで、その宇宙を構成し、あるいは心に描ける、という結論へ至った……。
あなた方の誰でも、小石、植物やほかの生物の種など、たった一つの事実または小さな物体に、あなた方の時間でわずか百年間集中すれば、その真実を知覚し始めるだろう。
私たち自身の地球の浜辺から拾った一つの小石が、この地球の大陸や国、政治や人々を指定してはいないことは、かなり確かだと思う。空間と時間の別の惑星、別のエヴェレット分岐でも、同じ小石が生まれるだろう。一方、一つの小石の同一性は、私たちの物理法則を含んでいるように思える。その意味では、宇宙の全体――エヴェレット分岐のすべて――が、小石によって含意されるだろう。(本当に自由な変数が存在しない可能性が高いとすれば。)
したがって、一つの小石は、おそらく地球全体を含意しない。しかし一つの小石は、非常に多くを含意する。その一つの小石を研究すれば、物理法則と、それが含意するすべてを見られるだろう。その物理法則について考えれば、惑星が形成されるとわかり、小石はそのような惑星から来たのだと推測できる。小石内部の結晶や分子構造は重力下で形成されたので、惑星の質量について何かを教える。小石の元素の混合は、惑星の形成について何かを教える。
私は地質学者ではないので、地質学者がどのような謎に通じているのか知らない。しかし、地質学者に小石を見せ、「この小石はハーフムーンベイの浜辺から拾った」と言ったら、地質学者が即座に「困惑した」、あるいは「嘘つきだ」とさえ言うところは、容易に想像できる。岩石の種類が間違っているのかもしれないし、浜辺の小石にしては十分に摩耗していないのかもしれない。どのようなつながりや特徴によって嘘を見抜かれるのか推測できるほど、私は小石をよく知らない。それこそが要点である。
「本当にもっともらしい嘘をつけるのは、神だけである」。これを諺として発展させた宗教は、かつてあっただろうか。(反証可能な形で)なかったと私は推測する。それは、神学的な比喩で表しても、合理主義者の感情である。「神が世界全体を作り、支えているので、あらゆるものは、ほかのあらゆるものと相互につながっている」と言えば、説教の間、温かく心地よい感情をいくらか生み出せるかもしれないが、小石がどの浜辺から来たかを特定するとなると、あまり役に立たない。
地球上の1セント硬貨が月に及ぼす重力加速度は、およそ4.5 × 10−31 m/s2である。だから、どの出来事も、その過去光円錐全体と絡み合っていると言うのは、ある意味ではそれほど間違っていない。そして推論は因果ネットワークを後ろ向きにも前向きにも伝播できるので、認識論的な絡み合いは、光円錐の境界を容易に越えられる。しかし私は、月を見て、1セント硬貨が表と裏のどちらを上にして落ちたか解明しなければならない鑑識天文学者にはなりたくない。その影響は、量子的な不確実性や熱雑音より、はるかに小さい。
「あらゆるものは何か別のものと絡み合っている」、あるいは「あらゆるものは推論上絡み合っており、ある絡み合いは別の絡み合いよりはるかに強い」と言えば、ただ深遠そうな賢者になるのではなく、本当に賢くなれるかもしれない。
物理的には、どの出来事も、ある意味で、境界も限界もなく、過去光円錐全体の総和である。しかし、目立つ絡み合いの一覧ははるかに短く、ネットワークのようなものを与える。この高水準の規則性こそ、私が「因果の大網」について語るとき、指しているものである。
私はこうした語の頭文字を、多少は冗談半分に大文字にしている。しかし何か一つでも大文字に値するものがあるなら、「因果の大網」は間違いなくその一覧に入る。
「ああ、何と絡まった網を織ることか、初めて欺こうとするときに」とサー・ウォルター・スコットは言った。すべての嘘が制御不能になるわけではない――私たちはそれほど正義に満ちた宇宙には住んでいない。しかし、ある事実について嘘をつき、次にそれと絡み合った事実について嘘をつき、さらにそれと絡み合った別の事実について嘘をつかなければならなくなることは、ときに実際に起きる。
「どこにいたの?」
「ああ、出張していた」
「何の出張?」
「それは言えない。大口顧客との機密交渉なんだ」
「へえ――あなたも交渉に加えてもらえるの? よかった! あなたを加えてくれたお礼を、上司に電話して伝えなくちゃ」
「残念だけど――上司は今、オフィスにいないんだ……」
神ではない人間は、本当にもっともらしい嘘をつくため、歪める必要のあるすべての事実を想像することに、しばしば失敗する。世界についての私たちのモデルがY染色体(の表現)を含むようになる前の昔なら、「神が私を妊娠させた」は、少しばかり起こりそうに聞こえた。今日の似たような嘘は、遺伝子検査がより一般的になると、破裂するかもしれない。強姦犯が有罪になり、虚偽の告発者が暴かれたことがある。自分が残し得ると気づかなかった証拠に基づいて、何年も後に。進化生物学を学ぶ者は、ウサギを追うすべてのオオカミ、逃げるすべてのウサギ、礼儀正しく警告を発する代わりに針を刺す、すべてのハチに、自然選択の設計上の特徴を見ることができる――しかし創造論者の欺瞞は、彼らにはもっともらしく聞こえるのだろう。
すべての嘘が暴かれるわけではなく、すべての嘘つきが罰せられるわけでもない。私たちは、それほど正義に満ちた宇宙には住んでいない。しかし、すべての嘘が、嘘をついた者が信じるほど安全なわけでもない。ベイズ的超知能が、地球を(非破壊的に?)ナノテクノロジーで走査したなら、いったいどれほどの罪が知られるようになるだろうか。少なくとも、どこかの脳にまだ証拠が残っているすべての嘘である。神経科学者がニューロイメージングによって本当に優れた嘘発見器を作ることに成功すれば、そうした嘘の一部は、それより早く知られるかもしれない。ポール・エクマン(顔の微細な筋肉運動を研究した先駆者)なら、機会を与えられれば、今すぐ世界の嘘のかなりの割合を読み取れるだろう。
すべての嘘が暴かれるわけではなく、すべての嘘つきが罰せられるわけでもない。しかし「大網」は非常によく過小評価される。人間がすでに蓄積した知識だけでも、学ぶには人間の一生がいくつも必要になる。神でない者が、危険を一切伴わない完璧な嘘をつけると思う者は、「大網」の絡み合いの深さを過小評価している。
正直は最良の策だろうか。そこまで言うかどうかはわからない。私の倫理観でも、ときには黙っていてよい。しかし、あからさまな嘘と比べれば、正直であることも沈黙することも、自分が冒していると知らない危険が再帰的に伝播することへの曝露が少ない。