非公式日本語訳 — 原著者・発行元による公式の翻訳ではありません

Eliezer Yudkowsky — 非公式日本語訳

合理的な論証

A Rational Argument

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あなたの職業は選挙参謀だ。ハドリーバーグ市長選の緑派候補、モーティマー・Q・スノッドグラスに雇われたばかりである。選挙参謀として合理性の本を読んでいるあなたの頭には、何よりもまず、この問いがある。「モーティマー・Q・スノッドグラスがハドリーバーグ市長に最適な候補であるという、非の打ち所のない合理的な論証を組み立てるには、どうすればよいだろう?」

残念ながら、それはできない。

「なんだって?」とあなたは叫ぶ。「でも、妥当な根拠だけを使って論証を組み立てたらどうだろう? 引用する事実がすべて、私の知るかぎり真実で、しかもベイズの定理に照らして関連する証拠だったら?」

残念だが、それでもできない。論証の結論をあらかじめ指定した瞬間、あなたは自ら敗北を決めてしまったのだ。

今年、ハドリーバーグ・トランペット紙は、市長候補全員に16項目の質問票を送った。「風のすべての色で絵を描けますか?」「吸い込みましたか?」といった質問だ。ところが、発表前にトランペット紙の社屋が隕石に破壊されてしまった。残念なことだ。あなたの候補、モーティマー・Q・スノッドグラスは、16問中15問で対立候補と比べても引けを取らなかったのだから。唯一の難点は、質問11の「あなたは現在、あるいは過去に一度でも、スーパーヴィランだったことがありますか?」だった。

そこであなたは、自陣営の選挙用広報資料に、この質問票を掲載したくなる……もちろん、11番目の質問は省いて。

それは、合理性からこじつけの正当化へと一線を越えることだ。有権者はもはや事実だけを条件にして判断することはできない。事実がそのように提示されたという追加の事実も条件に加え、隠された証拠の存在を推測しなければならない。

実際には、掲載するかどうかを決める前に、質問票が自分の候補に有利か不利かを考えた時点で、あなたはすでに一線を越えていた。「なんだって!」とあなたは叫ぶ。「選挙陣営は、自分の候補に不利な事実まで公表すべきだと言うのか?」だが、まだ候補を選ぼうとしている有権者の立場になってみよう。なぜ役に立つ情報を伏せるのか。本当に知りたいのなら、そんなことはしないはずだ。決めておいた候補から逆向きにたどって論拠を選ぶのではなく、証拠から、まだ分からない候補の選択へと順方向に進んでいるのなら。

「論理的」な論証とは、前提から結論が導かれるものだ。したがって、次の論証は非論理的である。

前提が真でも、結論までもが真であっても、この三段論法が非論理的であることは変わらない。論理的な演繹と非論理的な演繹は区別すべきだし、結論がたまたま真だからといって大目に見るべきではない。一つには、その区別によって、今後の証拠を踏まえて信念をどう改めるかが変わりうる。もう一つには、いい加減さは癖になるからだ。

何より、この三段論法は本当の説明を述べていない。正方形がすべて長方形なのかもしれないが、そうだとしても、両方とも四角形だからそうなのではない。偽善的な三段論法とでも呼べるだろう。表向きの理由と、本当の理由がつながっていないのだ。

選挙運動で、自分の候補を支持する誠実で合理的な論証を本当に提示したいなら、方法は一つしかない。

こうして初めて、合理的な論証の連鎖を示せる。その結論の行が、上の各行から順方向に進んで書かれた論証だ。結論を実際に決めているもの、それだけが、その上の各行に誠実に書けるものである。