非公式日本語訳 — 原著者・発行元による公式の翻訳ではありません

Eliezer Yudkowsky — 非公式日本語訳

どんな証拠か? 選別された証拠か?

What Evidence Filtered Evidence?

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ダイヤモンドが入っているかもしれないし、入っていないかもしれない箱をあなたに売るために雇われた、巧みな論者のジレンマについて述べた。その論者は、箱には青い印があると指摘する。そして、ダイヤモンド入りの箱には、空の箱より青い印がついていることが多いというのは、既知の正しい事実である。この時点で、ベイズ的には何が起きるのだろうか。あなたは巧みな論者の思いどおり、なすすべもなく確率を更新しなければならないのか。

自分で箱を見られるなら、すべての手がかりを自分で総合できる。見られないとしたら? あなたにある証拠が、その巧みな論者の言葉だけだとしたら? その人は法律上、真実しか言えないが、知っていることをすべて話すわけではない。論者の発言は、一つ一つが有効な証拠なのだから、どうして確率を更新せずにいられるだろう。箱Bに青い印があるエヴェレットの分岐世界、あるいはテグマークの複製宇宙のうち、ある一定の割合では箱Bにダイヤモンドが入っている、というのは、もはや真実ではなくなったのか。ジェインズによれば、ベイズ主義者は常に既知の証拠すべてを条件にしなければ、パラドックスに陥る。だがそうすると、選んで報告できる手がかりが十分多様でさえあれば、巧みな論者はあなたに何でも好きなことを信じさせられる。それはおかしい気がする。

もっと簡単な場合を考えよう。偏りのあるコインがあり、表が2/3、裏が1/3の確率で出るか、あるいは表が1/3、裏が2/3の確率で出る。どちらのコインであるかは、事前には同じくらいありそうだ。表(H)を一度観測するたび、表に偏ったコインを支持する1ビットの証拠が得られる。裏(T)を一度観測するたび、裏に偏ったコインを支持する1ビットの証拠が得られる。私はコインを10回投げ、そのあとあなたに「4回目、6回目、9回目は表でした」と伝える。このコインが表に偏っている事後確率は、いくらだろうか。

答えは、ほとんどどんな値にもなりうる、というものだ。私がその言葉を口にするまでに、どんな因果の連鎖があったか――どの投擲結果を報告するか、私がどう選んだか――による。

あるいは、モンティ・ホール問題を考えよう。

テレビのゲーム番組で、三つの部屋につながる三つのドアから一つを選べる。ある一室には10万ドルがあり、残りの二室は空だと知っている。司会者にドアを選ぶよう言われ、あなたは1番を選ぶ。すると司会者は2番を開け、空の部屋を見せる。3番のドアに変更するだろうか、それとも1番を選んだままにするだろうか。

答えは、司会者のアルゴリズムによる。司会者が必ずドアを開け、必ず空の部屋につながるドアを選ぶなら、3番に変更すべきだ。中に何があっても必ず2番を開けるなら、お金がある確率は1番も3番も50%だ。最初にあなたがお金のあるドアを選んだ場合にしか、司会者がそもそもドアを開けないのなら、絶対に1番のままにすべきだ。

条件にすべきなのは、2番が空だということだけではない。その事実に加えて、司会者が2番を開けることを選んだという事実もだ。標準的なモンティ・ホール問題で多くの人が混乱するのは、2番が空だということだけで更新するからだ。それだけなら、1番と3番にお金がある確率は等しくなる。だからベイズ主義者は、知っていることすべてを条件にしなければパラドックスに陥ると命じられているのだ。

誰かが「4回目のコイン投げは表でした」と言ったとき、私たちは4回目が表だったことを条件にしているのではない。可能な世界すべてのうち、4回目が表だった世界の部分集合を取っているのではない。そうではなく、ある特定のアルゴリズムに従う話者が「4回目のコイン投げは表でした」と言った世界の部分集合を条件にしている。発言された文は、事実そのものではない。言葉の意味だけに惑わされてはいけない。

大半の司法手続きは、どの事件にも対立する側がちょうど二つあるという理論と、偏りのない一人を見つけるより、偏った二人を見つけるほうが簡単だという考えに基づいている。検察と弁護の間では、どんな証拠でも、どちらかには提出する動機があるので、裁判所にはすべての証拠が示される。これが理屈だ。箱のジレンマで巧みな論者が二人いれば、好奇心から調べる一人の探究者ほどではないにせよ、ほぼ同じくらいうまくいく。だがそれは、箱が二つの場合だ。現実には、しばしば多面的な問題、奥深い問題、明白でない答えがある。それは、青陣営と緑陣営が怒鳴り合っても、簡単には見つからない。

証拠の選別という考えを、気に入らない証拠をすべて排除する万能の反論として悪用しないよう、注意してほしい。「その議論は選別されたものだから、無視していい」というわけだ。反対の議論に腹を立てるなら、あなたはその件に詳しく、どちらかの側につくほど関心を持っている。おそらく、自陣営の最強の論拠はすでに知っているだろう。反対の議論があるからといって、まだ見ていない、味方に有利な新たな徴候や前兆が存在すると推論する理由はない。だから、不都合な事実そのものは残る。箱Bの青い印は、やはり証拠なのだ。

しかし、ある議論を初めて聞き、しかも一方の側の主張しか聞いていないなら、本当に注意すべきだ! ある意味では、創造論者の話を5分間聞くまでは、誰も自然選択説を本当には信頼できない。そして聞いたあとで、それが確かだとわかるのである。