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おや! 選好逆転を擁護するコメントがこれほど多いとは思わなかった。どうやら私は推論距離にぶつかったらしい。
アレのパラドックスを解釈するには、次のようなヒューリスティクスとバイアス分野のゲシュタルトを、もう少し身につけていると役立つだろう。
- 実験の被験者は、たとえ本当に馬鹿げていても、首尾一貫しない選好を擁護しがちである。
- 人は、確率が0または1からわずかに離れる変化を、非常に大きく評価する(確実性効果)。
まず、首尾一貫しない選好――選好逆転、動的不整合、マネーポンプなど――の問題から始めよう。
プロスペクト理論を少しでも知る人なら、人々が賭けBより賭けAをしたいと言いながら、賭けの値段をつけさせるとAよりBに高い値をつける、といった事例を作るのに苦労はしない。直接比較して「どちらを好むか?」と尋ねる場合と、単独の項目について「いくら払うか?」と尋ねる場合では、目立つ知覚的特徴が異なるのである。
次の賭けの組は、典型的に選好逆転を生む。
- 1⁄3の確率で16ドルを得て、2⁄3の確率で2ドルを失う。
- 99⁄100の確率で4ドルを得て、1⁄100の確率で1ドルを失う。
たいていの人は1より2を選んでプレイしたがる。ところが、二つの賭けに別々に値段をつけさせる――その金額を持つことと、賭けをする機会を持つことが同じくらい好ましくなる価格を尋ねる――と、人々は2より1に高い値をつける。1
そこでまず、本人がつけた価格で賭け1をする機会を売る。次に、賭け1を賭け2と交換しようと持ちかける。そして、本人がつけた価格で賭け2を買い戻す。それからもう一度繰り返す。これが「マネーポンプ」という言葉の由来である。
スティーヴ・オモハンドロの言葉を借りて言い換えれば、サンフランシスコよりオークランドにいたく、オークランドよりサンノゼにいたく、サンノゼよりサンフランシスコにいたいなら、タクシー代に途方もない額を使うことになる。
驚くべきことに、人々はこうした選好パターンを擁護する。マネーポンプ効果を指摘されると、それを捨てる――価格または選好を修正する――被験者もいるが、擁護する被験者もいる。
あるとき、ラスベガスのギャンブラーたちは、ルーレット盤を使って、この種の賭けを実際のお金で行った。その後、研究者の一人が、価格づけと選択の不整合に関する問題を説明しようとした。以下は記録からである。2,3
サラ・リヒテンシュタイン:「では、賭けAへの入札額についてはどうですか? 一方を選びながら、もう一方により高く入札していると分かった今、それについて何かさらに感じることはありますか?」
被験者:「ちょっと奇妙ですけど、いや、実のところ、それについてはまったく何も感じません。そういうものの一つというだけです。私の推論過程があまり良くないとは分かりますけど、それ以外は、私は……何のためらいもありません。」
……
リヒテンシュタイン:「それが非合理的なパターンだと、あなたを納得させられるでしょうか?」
被験者:「いや、たぶん無理だと思いますけど、やってみてもいいですよ。」
……
リヒテンシュタイン:「では、マネーポンプ・ゲームと呼ばれてきたものを提案して、試してもらい、どう思うか見てみましょう。賭けAに550ポイントの価値があると思うなら[ポイントはゲーム後にドルへ換算されたが、一対一ではなかった]、私がその賭けを渡すなら、私に550ポイントを喜んで支払うはずです……」
……
リヒテンシュタイン:「いま、あなたは賭けAを持っています。そこで私が『ああ、賭けBのほうがいいんでしょう?』と言います。」
……
被験者:「お金を失っていますね。」
リヒテンシュタイン:「賭けBをあなたから買いましょう。気前よく、400ポイントより多く払います。401ポイント払います。401ポイントで賭けBを私に売りますか?」
被験者:「ええ、もちろん。」
……
リヒテンシュタイン:「これで私は149ポイント儲けました。」
被験者:「私の推論が立派だったということですね。(笑う)これを何回繰り返すんですか?」……
リヒテンシュタイン:「まあ、実際に侮辱する以外では、私にできるかぎりあなたを追い詰めたと思います。」
被験者:「そのとおりです。」
「もういいかげん諦めろ! 直感はいつも正しいわけではない!」と叫びたくなる。
そして、人々が確実性に付与する奇妙な価値の問題がある。引っ越しのため本を梱包してしまったが、ある実験では、確率が100%から99%へ変わることが、人々の心の中で、80%から20%へ変わることより大きく重みづけされたはずである。
確実性に巨大な追加価値を与えることの問題は、ある時点の確実性が、別の時点の確率だということである。
前のエッセイでは、アレのパラドックスについて述べた。
- 1A. 確実に2万4000ドル。
- 1B. 33⁄34の確率で2万7000ドルを得て、1⁄34の確率で何も得ない。
- 2A. 34%の確率で2万4000ドルを得て、66%の確率で何も得ない。
- 2B. 33%の確率で2万7000ドルを得て、67%の確率で何も得ない。
アレのパラドックスにおける素朴な選好パターンは、1A > 1Bかつ2B > 2Aである。そこであなたは、2万4000ドルを得る34%の確率より2万7000ドルを得る33%の確率を好むため、私がスイッチをAからBへ切り替えるのに金を払う。次に、ダイスの一振りが確率質量の一塊を消し去る。どちらの場合にも、何も得ない確率が少なくとも66%あった。このダイスの一振りは、その66%を消し去る。すると、選択肢Bは2万7000ドルを得る33/34の確率だが、選択肢Aは2万4000ドルを得る確実性になる。おお、栄光ある確実性よ! そこであなたは、私がスイッチをBからAへ戻すのに金を払う。
さて、私がこれを全部やると前もって教えていたなら、あなたは本当に、スイッチを切り替えるために私へ金を払い、さらに元に戻すために金を払いたいだろうか? それとも考え直したいだろうか?
24%から23%への確率変化を、ほぼ1から99%への変化ほど重要ではないと値づけしようとするたび――尺度の端に近いほど、確率の増分に大きな価値を持たせようとするたび――あなたはこの種の搾取に身をさらす。私はいつでも、確率質量を少しずつ消していき、最後にあなたの選好を反転させる「確実性」だけを残す一連の出来事を設定できる。ある時点の確実性は別の時点の不確実性であり、ほぼ1から0.99までの距離を特別扱いすると言い張るなら、私は時間とともにあなたの選好を逆転させ、あなたから金を汲み上げられる。
これが非合理的なパターンだと、今度こそあなたを納得させられるだろうか?
この本をしばらく読んできたのなら、あなた――まさにこの言葉を読んでいるシステムと過程そのもの――が、欠陥を抱えた機械だと分かっているはずである。あなたの直感は、良い選択について、直接的で真実を映す情報を与えてはいない。そう信じないなら、ぜひ一緒にやりたい賭けがいくつかある。
確実性効果を利用した別のゲームもいろいろある。たとえば、確実な400ドルと、80%の確率で500ドル、20%の確率で300ドルという選択肢を提示すると、たいていの人は400ドルを選ぶ。だが、自分が500ドル豊かになったと想像させ、100ドルの確実な損失と、200ドルを失う20%の確率のどちらを好むか尋ねると、たいていの人は200ドルを失う可能性のほうを選ぶ。4 結果の確率分布は同じで、記述が異なり、選択も異なる。
そう、ヴァージニア、結果の効用にその確率を掛けるよう、本当に努めるべきである。本当にそうすべきだ。すっきりした数学を使うことを恥じるな。
アレのパラドックスでは、2万4000ドルを得ることと何も得ないことの差の1単位が、2万4000ドルを得ることと2万7000ドルを得ることの差の33単位を上回るか考えよ。上回るなら、1Bより1Aを、2Bより2Aを選べ。33単位が1単位を上回るなら、1Aより1Bを、2Aより2Bを選べ。お金の効用を計算するなら、お金の効用が対数的だと仮定する近似を使うことを勧める。すでに十分なお金を持っているならBを選べ。2万4000ドルで現在の資産が倍になるならAを選べ。事例2でも事例1でも違いはない。それから、資産の変化ではなく、総資産価値の効用――世界の最終的な結果状態の効用――を必ず評価せよ。さもないと、また首尾一貫しなくなる。
多くのコメント投稿者は、「確実性の効用」か何かがあるから、この選好パターンは非合理的ではないと主張した。ある投稿者は、期待効用の式にU(確実性)とまで書き込んだ。
期待効用と効用が根本的に異なる型だという話を、誰か覚えているだろうか? 効用は結果に対するものである。効用とは、特定の、確固とした世界の状態に付与する価値である。確率1を効用関数へ入力することはできない。意味をなさない。
そして「ふん……数学をすっきり整えたいだけだろう」と鼻を鳴らす前に、この場合、ベイズの道から離れる代価は、誰かにスイッチを切り替えさせ、さらに元へ戻させるため金を払うことだったと思い出してほしい。
では、あの確固とした温かな安心感はどうなのか? それは効用ではないのか?
それが人間であるということだ。人間は期待効用最大化器ではない。くつろいで楽しみたいのか、それとも確実な感覚のため余計に金を払いたいのかは、自分の直感を満足させることと、実際に目標を達成することのどちらを重く見るかによる。
楽しむためにラスベガスで賭けているなら、どうぞ期待効用について考えないでほしい――どうせお金を失うのだから。
だが、2万4000ドルではなく、2万4000人の命が懸かっていたらどうか? 確実性効果は、人命についてさらに強くなる。スイッチを切り替えるため一人の命を払い、戻すためもう一人の命を払うのか?
選好逆転を容認すれば、最適化を目指すという主張は茶番になる。サンノゼからサンフランシスコ、オークランド、そしてサンノゼへと何度も運転するなら、温かく心地よい感情をたくさん得られるかもしれないが、あなたに目的地がある――どこかへ行こうとしている――とは解釈できない。
循環する選好を持つとき、あなたは未来の舵を取っているのではなく、ただ円を描いて走っているだけである。走ること自体を楽しむなら構わない。だが、目標――実際に成し遂げようとしていること――があるなら、選好逆転は大きな問題を明かす。あなたの選択の少なくとも一つは、首尾一貫したいかなる意味でも、未来を実際に最適化するよう働いていないはずである。
あなたが気にかけるのが、確実性という温かく心地よい感覚なら、それでよい。誰かの命が懸かっているなら、あなたの直感は、世界を見るための脂で曇ったレンズだと理解したほうがよい。あなたの感情は、戦略的帰結について直接的で真実を映す情報を与えてはいない――そう感じるが、そうではない。温かな満足感は、あなたを大きく道から逸らしうる。
未来の舵を効率よく取る戦略を支配する数学的法則がある。本当に重要なもの――決定について幸福に感じることより大切なもの――が懸かっているなら、本当にそれを気にかけているかぎり、数学を気にかけるべきである。
Sarah Lichtenstein and Paul Slovic, “Reversals of Preference Between Bids and Choices in Gambing Decisions,” Journal of Experimental Psychology 89, no. 1 (1971): 46–55. ↩
William Poundstone, Priceless: The Myth of Fair Value (and How to Take Advantage of It) (Hill & Wang, 2010). ↩
Sarah Lichtenstein and Paul Slovic, eds., The Construction of Preference (Cambridge University Press, 2006). ↩
Kahneman and Tversky, “Prospect Theory: An Analysis of Decision Under Risk.” ↩