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ここまで読んで、こう思っているかもしれない。「なるほど。でも、これが還元主義とどう関係するの?」
一つには、退路を残しておくためだ。何か大切なものを構成要素へ分解するのは、それによって世界から魔法が消え、虹の織り目がほどけてしまうと確信していると、容易ではない。この本で私は、確かにいくつかのものを分解するつもりだ。その際、無用の実存的苦悩は生み出したくない。
一つには、ハリウッド流の合理性との戦いでもある。虹を理解すると、その美しさが減るという考えとの戦いだ。虹は美しいままで、そのうえ物理学の美しさまで味わえる。
だが、もっと深いところでは、これは微妙な合理性の隠れた核心に関わる話の一つだ。ほら、私が「道」について語り始めるときの、あの種の話である。自分を現実に結びつけることなのだ。
記憶が正しければ、フランク・ハーバートのデューン・シリーズの一冊には、「真実を語る者(Truthsayer)」は自分自身が常に真実を語ることで、他人の嘘を見抜く能力を得る、と書かれている。そうすることで真実との関係が築かれ、その関係が破られると感じ取れるようになるというのだ。実際にはうまくいかないだろうが、それでも私は、フィクションの中でもとりわけ美しい発想の一つだと思う。少なくとも真実へ近づくには、怖がって身を引いたり、見下して冷笑したりせず、できるだけぴったりと自分の身を現実へ押しつける覚悟が必要だ。
自分を現実に結びつけるという主題は、宝くじ――希望の浪費にも見て取れる。宝くじの期待効用が負だと理解することは、金持ちになる希望を捨てることではない。その希望を宝くじに浪費するのをやめることだ。仕事、学校、起業、eBayでの副業に希望を注ぐ。そして本当に希望をかけるに値するものが何もないなら、そろそろ探し始めるべきなのかもしれない。
私が反対しているのは夢ではない。不可能な夢だけだ。宝くじは不可能ではないが、行動でどうにかできない、ほぼ不可能なものだ。宝くじに当たるのが極端に難しい、つまり必死の努力が必要だというのではない。そもそも努力の問題ではないのだ。
こうした話をしているのは、どこにも届かず流れ去る感情のエネルギーをつかまえ、現実の領域に結びつける、という考えを例で示すためだ。
それは、目標を「現実的」な程度まで低く設定することではない。つまり、簡単で、安全で、親に認めてもらえる目標にするということではない。あなた個人の場合には、それが良い助言になるのかもしれない。私には分からないが、それを言うのは私の役目ではない。
私が言いたいのは、虹が魔法ではないと判明しても、虹に感情のエネルギーを注ぐことはできる、ということだ。未来はいつも突拍子もないが、実在しないことは決してない。
ハリウッド流の合理性のステレオタイプは、「合理的=感情がない」というものだ。理性的になるほど、理性は必然的に多くの感情を壊していく。合理的に感じるでは、これと対比して、「真実によって壊せるものは、壊されるべきだ」「真実が育むものは、繁栄すべきだ」と述べた。自分にできる最善の真実の姿へたどり着いたとき、その結果として生じる感情には、非合理的なところはない。その感情は真実では壊せないのだから、非合理的であるはずがない。
だから、ハリウッド流の合理性のステレオタイプに従って、虹の間違った説明に結びついていた感情のエネルギーを壊す代わりに、そのエネルギーを現実へと向け直そう。できるだけ真実に近づけた信念へ結びつけるのだ。
空を飛びたい? 飛ぶことを諦めてはいけない。空飛ぶ魔法の薬を諦めて、自分で飛行機を作ろう。
現実のように考えるの主題を覚えているだろうか。物理学が直感に反すると感じるとき、変なのは物理学ではなくあなたなのだと受け入れなければならない、という話だった。
今話しているのも、それに似たことだ。ただし仮説の代わりに感情を扱っている。自分の感情を現実の世界へ結びつけることだ。「現実的」な日常世界ではない。黙って宿題をしろなどと言ったら、私はとんでもない偽善者になってしまう。私が言っているのは、真の現実世界、月面着陸や人間の知性の進化といった突拍子もないことまで含む、法則に従う宇宙だ。ただし、魔法だけは、いつ、どこにも、一切ない。
「科学は人生から楽しみを奪う」というのは、ハリウッド流の合理性のミームだ。
科学は人生の中へ楽しみを取り戻してくれる。
合理性はあなたの感情のエネルギーを、どこかよそではなく、この宇宙へ向ける。