非公式日本語訳 — 原著者・発行元による公式の翻訳ではありません

Eliezer Yudkowsky — 非公式日本語訳

類似性のクラスター

Similarity Clusters

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昔、プラトンのアカデメイアの哲学者たちは、人間の最もよい定義は「羽のない二足歩行動物」だと主張した。キュニコス派のディオゲネスとも呼ばれる、シノペのディオゲネスは、さっそく羽をむしった鶏を持ち出して「これがプラトンの人間だ」と宣言したという。プラトン派はすぐさま、定義を「幅広い爪を持つ、羽のない二足歩行動物」に変えた。

人間に共通するものをすべて列挙した辞書や百科事典は、これまで一つもない。私たちには赤い血があり、二本の手のそれぞれに五本の指があり、骨でできた頭蓋骨があり、23対の染色体がある。だが、これらは他の動物種にも言えるかもしれない。私たちは、複雑な道具を作るための複雑な道具を作り、構文に従って要素を組み合わせる言語を使い、臨界状態の核分裂反応をエネルギー源として利用する。これらは人間だけを選び出すのには役立つかもしれないが、すべての人間を選び出すわけではない。私たちの多くは、核分裂炉を作ったことなどない。必要十分な遺伝子配列の適切な組を使えば、少なくとも今のところは、すべての人間を、しかも人間だけを選び出せるだろう。だがそれでも、人間に共通するもののすべてにはほど遠い。

それでも、たまたま近くに羽をむしった鶏がいなければ、「羽のない二足歩行動物を探して」と言うことで、家、花瓶、サンドイッチ、猫、色、数学の定理などではなく、人間である具体的なものを数十人ほど選び出せるかもしれない。

「羽のない二足歩行動物」という定義が、何体かの具体的な羽のない二足歩行動物と結びつけば、その集団を見渡し、単に羽がなく足が二本あるというだけでなく、それらに共通するように見える他の特徴も拾い集め始められる。目の前のその羽のない二足歩行動物たちは、言語を使い、複雑な道具を作り、構文に従って要素を組み合わせる言語を話し、突けば赤い血を流し、ドクニンジンを飲めば死ぬようだ。

こうして「人間」というカテゴリーは豊かになり、特徴が次々に加わる。だから、ディオゲネスがついに羽をむしった鶏を差し出しても、私たちはだまされない。この羽をむしった鶏は、他の「羽のない二足歩行動物」とは明らかに似ていない。

(アリストテレス論理学が人間の心理をよく表すモデルだったなら、プラトン派は羽をむしった鶏を見て、「そう、それは人間だ。それで何が言いたい?」と言っただろう。)

あなたが最初に見た羽のない二足歩行動物が、羽をむしった鶏だったなら、「人間」という言葉のラベルは羽をむしった鶏を指すのだ、と思ってしまうかもしれない。だから私は、宝の地図を修正して「幅広い爪を持つ、羽のない二足歩行動物」を指すようにできる。賢明なら、さらにこう言うだろう。「そこにいるディオゲネスが見えるだろう? あれが人間だ。私も人間で、あなたも人間だ。そして、あのチンパンジーは、かなり近いが人間ではない」。

最初の手がかりは、使う人を類似性のクラスター、つまり数多くの特徴を共有するものの集団へ導ければよい。そうなれば最初の手がかりは役目を終え、私は続けて「人間は今のところ必ず死ぬ」という新しい情報や、私たち羽のない二足歩行動物について伝えたい他のことを話せる。

辞書は、アリストテレス流の類の定義を集めた本と考えるよりも、言葉のラベルを類似性のクラスターに対応づけたり、そのクラスター同士を区別するのに役立つ性質に対応づけたりするための、手がかりの本と考えるのがよい。