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お金のかかるハロウサンクマスの時期が近づいてきた今、読者諸氏の頭には、ある疑問が大きく浮かんでいるに違いない。
「親愛なるOvercoming Biasへ。実際には大金を使わずに、気前がよいと思わせるために利用できるバイアスはありますか?」
答えは「ある」と喜んで報告しよう! Hseeによれば――「Less is better: When low-value options are valued more highly than high-value options(少ないほうがよい――低価値の選択肢が高価値の選択肢より高く評価されるとき)」という論文で――誰かに45ドルのマフラーを買うほうが、55ドルのコートを買うよりも気前がよいと思われやすい。1
これは、より一般的な現象の特殊な一例である。それ以前の実験で、Hseeは中古の音楽辞典にいくらまで払ってよいと思うかを被験者に尋ねた。2
- 辞典A。1993年版、見出し語1万件、新品同様の状態。
- 辞典B。1993年版、見出し語2万件、表紙が破れているが、それ以外は新品同様の状態。
仕掛けは、一部の被験者には二冊の辞典を並べて見せた一方で、別の被験者には辞典を一冊だけ見せたことだった……。
選択肢を一つだけ見た被験者が支払ってよいと答えた平均額は、辞典Aには24ドル、辞典Bには20ドルだった。二つの選択肢を両方並べて見た被験者は、辞典Bには27ドル、辞典Aには19ドルまで払ってよいと答えた。
もちろん、辞典を何かに使うつもりが少しでもあるなら、見出し語の数は、表紙が破れているかどうかより重要である。しかし、一冊の辞典だけを提示され、その見出し語が2万件だと言われても、2万という数字は大して意味をなさない。少ないのか? 多いのか? 誰にわかるだろう? それは評価不能である。一方、破れた表紙は目につく。そこには明確な感情価がある。すなわち、悪い。
しかし並べて見れば、見出し語の数は評価不能から評価可能へ変わる。比較できる同種の量が二つあるからだ。そして見出し語数が評価可能になると、この側面が破れた表紙の重要性を圧倒する。
Slovicらからの問題である。あなたならどちらを選ぶだろうか?3
- 29/36の確率で2ドルを獲得する。
- 7/36の確率で9ドルを獲得する。
これらの選択肢につけられた平均価格(等価価値)はそれぞれ1.25ドルと2.11ドルだった一方で、魅力度の平均評定は13.2と7.5だった。価格と魅力度の評定はどちらも、評定した賭けから二つが無作為に選ばれ、価格または魅力度を高く評定したほうの賭けを実際に行う、と被験者に告げた状況で求められた。(被験者には、本当に行いたい賭けの魅力度または価格を高く評定する動機があった。)
金銭的価値の高い賭けのほうが魅力に乏しく見えた。典型的な選好逆転である。研究者たちは、ドルの価値は価格づけという課題とより整合するが、払い戻しの確率は魅力度とより整合するのだと仮説を立てた。ならば(と研究者たちは考えた)、賭けの払い戻しを感情面でもっと目立たせ――感情的にもっと評価可能にし――もっと魅力的にしてはどうか?
どうやってそれを実現したのか? 賭けにごく小さな損失を加えたのである。元の賭けは7/36の確率で9ドルを獲得するものだった。新しい賭けは7/36の確率で9ドルを獲得し、29/36の確率で5セントを失うものだった。元の賭けでは、9ドルの魅力を暗黙のうちに評価する。新しい賭けでは、9ドルを獲得する魅力を、5セントを失うことと対比して評価するようになる。
「結果は」とSlovicらは述べた。「私たちの予想を上回った」。新たな実験では、7/36の確率で9ドルを獲得する単純な賭けの平均魅力度は9.4だった一方、29/36の確率で5セントを失うことも含む複雑な賭けの平均魅力度は14.9だった。
追試では、被験者が元の賭けと確実な2ドルの獲得のどちらを好むかを調べた。元の賭けを好んだ学生は33%にすぎなかった。確実な2ドルと新しい賭け(5セントを失う可能性が加わったもの)から選ぶよう求められた別の群では、実に60.8%が賭けのほうを選んだ。結局のところ、9ドルという金額はさほど魅力的ではないが、9ドル/5セントは驚くほど魅力的な勝ち負けの比率なのである。
まぎれもない損失を加えることで、賭けをもっと魅力的にできる! 心理学は楽しいと思わないか? 人間の知性が持つ驚異的な精巧さを本当に理解している者が、人間に似たAIを設計したいと思わないのは、こういうわけである。
もちろん、これが働くのは、被験者が二つの賭けを並べて見ない場合だけである。
同じように、Hseeの1998年の研究で、被験者は次の二つのアイスクリームのどちらを好んだと思うだろうか?
Hseeより、© 1998 John Wiley & Sons, Ltd.
当然ながら、答えは、被験者が一つのアイスクリームだけを見たか、二つを並べて見たかによって変わる。一つだけを見た被験者が支払ってよいと答えた金額は、販売者Hには1.66ドル、販売者Lには2.26ドルだった。両方を見た被験者が支払ってよいと答えた金額は、販売者Hには1.85ドル、販売者Lには1.56ドルだった。
これは年末の買い物について何を示唆するだろうか? 16GBのiPod Touchに400ドルを使えば、贈られた人の目には最も高価なMP3プレーヤーと映る。Nintendo Wiiに400ドルを使えば、最も安価なゲーム機と映る。どちらがお買い得か? ああ、だがその質問が意味をなすのは、二つを並べて見る場合だけである。買い物をしているあなたは二つを並べて考えるが、贈られる側が見るのは、手にしたものだけなのだ。
使える金額が決まっており――しかも目的が、相手を実際に助けることではなく、友情を見せつけることなら――あえてお買い得品を探さないほうがよい。相手に感銘を与えるために使いたい金額を決め、次に、その金額で買える最も価値のない物を見つけるのだ。一定額を使うなら、物の種類が安価であるほど、そのなかの特定の一品は高価に見える。25ドルのシャツと25ドルのろうそくでは、どちらが印象に残るだろう?
50ドルのメロンを買う日本の習慣にも、まったく新しい意味が生まれるではないか。それを見て首を振り、「日本人は一体どうなっているんだ?」と言う。だが日本人は、たった50ドルしか使わずに、途方もなく気前がよく、浪費家とさえ思ってもらえる。豪華な夕食に200ドルを使っても、メロンに50ドル使うほど裕福には見えないだろう。25ドルのつまようじや10ドルのほこりの粒を贈る習慣さえあれば、さらに少ない出費で済ませられるのに。
追伸:本当にこの手を使ったなら、何を買ったか教えてほしい。
Christopher K. Hsee, “Less Is Better: When Low-Value Options Are Valued More Highly than High-Value Options,” Behavioral Decision Making 11 (2 1998): 107–121. ↩
Christopher K. Hsee, “The Evaluability Hypothesis: An Explanation for Preference Reversals between Joint and Separate Evaluations of Alternatives,” Organizational Behavior and Human Decision Processes 67 (3 1996): 247–257, doi:10.1006/obhd.1996.0077. ↩
Slovic et al., “Rational Actors or Rational Fools.” ↩