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感情ヒューリスティックとは、良い・悪いという主観的な印象が、ヒューリスティック、すなわち素早い知覚的判断の手がかりとして働くことだ。快・不快の感情は人間の推論の中心にあり、感情ヒューリスティックには、実にすてきなバイアスが付いてくる。私のお気に入りもいくつかある。
比較的まだまともなバイアスから始めよう。あなたは別の町に引っ越そうとしていて、アンティークの大きな振り子時計を運ばなければならない。第一の場合、その時計は5歳の誕生日に祖父母からもらったものだ。第二の場合は、遠い親戚からもらったもので、とくに思い入れはない。輸送中に時計が紛失したら100ドルを払ってくれる保険に、いくら払うだろうか。シーとクンロイターによれば、被験者は第一の条件では、第二の条件の2倍を超える額を払ってもよいと答えた。1より価値のある物を守るために多く払うのは当然だ、と合理的に聞こえるかもしれない。だが、その保険は時計を守ってくれない。紛失したら金を払うだけで、どちらの時計でも支払額はまったく同じだ。(しかも、保険は外部の会社が提供すると明示されていた。だから、引っ越し業者に特別な動機を与えるわけでもない。)
まあ、それでも、そこまでおかしいとは聞こえない。被験者が保険をかけていたのは金銭的な結果ではなく、感情的な結果だった、つまり慰めを買っていたのだ、と言えば通るかもしれない。
では、これはどうだろう。ヤマギシの研究では、被験者は、致死率24.14%と説明された病気より、1万人のうち1,286人が死ぬと説明された病気のほうを危険だと判断した。2どうやら、死ぬより生き残る可能性の高い一人の人間を思い浮かべるよりも、千体もの死体のイメージのほうが、はるかに不安をかき立てるらしい。
だが、まだだ。話はもっとひどくなる。
ある空港が、新しい設備の購入に金を使うか決めなければならず、反対派は、その金を空港の安全性の別の側面に使うべきだと主張しているとしよう。スロヴィックらは二組の被験者に、設備購入への賛否の論拠を示し、0(まったく支持しない)から20(非常に強く支持する)で答えてもらった。3一方の組には、この対策で150人の命が救えると説明した。他方には、150人の98%を救えると説明した。この実験のもとになった仮説は、150人を救うという説明は漠然と良く聞こえるだけだが、それが多いのか少ないのかは分からない一方、何かの98%を救うという説明は、98%が百分率の上限に非常に近いため、明らかにとても良く聞こえる、というものだった。果たして、150人を救う場合の支持度の平均は10.4だったのに対し、150人の98%を救う場合は13.6だった。
あるいは、デネス=ラジとエプスタインの報告を見てみよう。4ボウルからジェリービーンズを無作為に取り出し、赤なら毎回1ドルもらえるという機会を与えられた被験者は、赤い豆の割合が低くても、赤い豆の数が多いボウルから引くことを選びがちだった。たとえば、10個中1個より、100個中7個を好んだ。
デネス=ラジとエプスタインによれば、被験者たちは後で、確率では不利だと分かっていても、赤い豆が多いほうが当たりそうな気がしたと述べた。ああ、統計にお詳しい読者の皆さんには、ばかげて聞こえるかもしれない。だが、もっとよく考えれば、まったく筋が通っていると分かるだろう。確率が10%に対して7%というのは悪い知らせかもしれないが、赤い豆の数が増えているので、その不利を補って余りある。確かに確率は悪い。でも、勝てる見込みは高いのだ。お分かりだろう。この考えをじっくり瞑想し、この星のほかの人々が確率をどう考えているか、悟りを開いてほしい。
フィヌケインらは、原子炉、天然ガス、食品保存料について、大きな便益の情報を示すと人々がリスクを低く感じ、大きなリスクの情報を示すと便益を低く感じるなど、四つの組合せで同じ傾向があることを発見した。5人々は、ある物事の個々の良い面・悪い面についての判断を、その物事全体に対する、良い・悪いという感情に混ぜ合わせてしまう。
フィヌケインらはまた、時間に追われると、感じられるリスクと便益の逆の関係が、大幅に強まることも発見した。これは、時間の圧迫、情報不足、注意の散漫さはどれも、分析的な熟考に対して知覚的なヒューリスティックが優位になる度合いを高める、という一般的な知見と一致する。
ガンザックは金融分野で同じ効果を発見した。6通常の経済理論では、収益とリスクには正の相関があるはずだ。言い換えれば、人々は安全な投資には割高な価格を払うため、収益率が下がる。株式は債券より高い収益をもたらすが、それに応じてリスクも大きい。よく知っている銘柄を判断するとき、アナリストのリスクと収益の判断には、従来の予想どおり、正の相関があった。だが、よく知らない銘柄では、銘柄を全体として良いものか悪いものかに分けて判断する傾向があった。低リスクで高収益、あるいは高リスクで低収益、という具合だ。
さらに読むなら、スロヴィックによる優れた総説「合理的な行為者か、合理的な愚か者か――感情ヒューリスティックが行動経済学に持つ含意」を勧める。7
Christopher K. Hsee、Howard C. Kunreuther「保険の意思決定における愛着効果」、Journal of Risk and Uncertainty 20(2、2000年):141–159、doi:10.1023/A:1007876907268。 ↩
Kimihiko Yamagishi「死亡率12.86%が24.14%より危険になるとき――リスクコミュニケーションへの含意」、Applied Cognitive Psychology 11(6、1997年):461–554。 ↩
Paul Slovicほか「合理的な行為者か、合理的な愚か者か――感情ヒューリスティックが行動経済学に持つ含意」、Journal of Socio-Economics 31、第4号(2002年):329–342、doi:10.1016/S1053-5357(02)00174-9。 ↩
Veronika Denes-Raj、Seymour Epstein「直感的処理と合理的処理の対立――人が自分のよりよい判断に反して行動するとき」、Journal of Personality and Social Psychology 66(5、1994年):819–829、doi:10.1037/0022-3514.66.5.819。 ↩
Finucaneほか「リスクと便益の判断における感情ヒューリスティック」。 ↩
Yoav Ganzach「金融資産のリスクと収益を判断する」、Organizational Behavior and Human Decision Processes 83、第2号(2000年):353–370、doi:10.1006/obhd.2000.2914。 ↩
Slovicほか「合理的な行為者か、合理的な愚か者か」。 ↩