非公式日本語訳 — 原著者・発行元による公式の翻訳ではありません

Eliezer Yudkowsky — 非公式日本語訳

いや、本当に自分を騙したんです

No, Really, I’ve Deceived Myself

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先日、ある人と話をした。その人は……説明が難しい。名目上はユダヤ教正統派の信者だった。また、とても頭がよく、自分の宗教に反する考古学的証拠の一部にも、信仰を持つ人でも知っているような、宗教を批判する浅薄でお決まりの議論にも通じていた。たとえば彼女は、モルデカイ、エステル、ハマン、ワシュティはペルシアの歴史記録には登場しないが、それに対応する古いペルシアの伝説には、バビロニアの神々マルドゥクとイシュタル、それと敵対するエラムの神々フンマンとワシュティが登場することを知っていた。それを知っていて、なおプリム祭を祝うのだ。何年も自らの矛盾の中で悶々と思索し、それを精緻にし、微調整し続けた結果、頭の中がM・C・エッシャーの絵のようになってしまった、非常に知的な信仰者の一人だった。

こうした人の多くは、無神論者と話すには自分はあまりに賢すぎるというふりをするが、彼女は私と数時間話すことに応じてくれた。

その結果、自己欺瞞について、それまで明確には理解していなかったことを少なくとももう一つ理解できた。自分を騙したと信じてさえいれば、実際に自分を騙す必要はないのだ。「自己欺瞞への信念」とでも呼ぼう。

この女性は高校生のころ、自分は無神論者だと思っていた。しかしそのとき、神を信じているかのように振る舞うべきだと決めた。そして――彼女は真剣な様子で私にそう語った――時がたつにつれて、本当に神を信じるようになったのだという。

私にわかる限り、その点で彼女はまったく間違っている。会話の間じゅう、何度も何度も「私は神を信じています」と言ったが、「神は存在します」とは一度も言わなかった。なぜ信仰を持つのかと尋ねても、神が存在することの帰結を語ることは一度もなく、神を信じることの帰結ばかり語った。「神が助けてくれる」とは決して言わず、いつも「神への信仰が私を助けてくれる」だった。「ただ真実を求めてこの宇宙を見た人なら、神を仮説として思いつくことさえないでしょう」と言うと、彼女はあっさり同意した。

彼女は自分を騙して、神が存在するとか、ユダヤ教は真実だとか信じ込むことに、実際には成功していない。私にわかる限り、そんな状態からは程遠い。

一方で、自分を騙したのだと、本当に信じてはいると思う。

だから、彼女は神を信じていない以上、神を信じることによる恩恵は何も受けていない。しかし、自分を騙して神を信じるようになったのだと心から信じているので、自分を騙して神を信じ込むことから得られると彼女が考えている恩恵を、心から期待している。そしてそれは、おそらく、実際に神を信じる場合とほとんど同じプラセボ効果をもたらすはずだ。

彼女が、神を信じているという主張を、私の懐疑的な問いかけから真剣に守ろうとしたのに、「ああ、それから、神は本当に存在するんですよ」とは一度も言わず、その命題に少しでも関心があるような様子すら見せなかったのは、このためかもしれない。