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まだずいぶん幼かったころ——13歳か、もしかすると14歳だったと思う——私は、カントールの対角線論法を反証したと思った。実数のほうが有理数より数が多いと示す、あの有名な定理だ。ああ、名声と栄光の夢が頭の中を踊ったものだ!
私の考えはこうだった。どの非負整数も2のべき乗の集まりに分解できるのだから、二進展開を書き出すだけで、非負整数から非負整数の部分集合全体への全射を作れるはずだ。たとえば13は二進数では1101で、{0, 2, 3}に対応する。自分の巧妙な構成にカントールの対角線論法を適用してみればいいのでは、と気づくまでに丸一週間かかった。そしてもちろん、反例が見つかった。二進数(…1111)だ。これは、どんな有限の非負整数にも対応しない。
こうして反例を見つけ、自分の反証の試みは、名声と栄光の夢もろとも間違っていたとわかった。
最初は少し落胆した。
こんな考えが頭をよぎった。「いつかあの定理をやっつけてやる! 最初の試みは失敗したけれど、いつの日かカントールの対角線論法を反証してやる!」。頑固に正しいままでいて、私から名声と富を奪った定理を恨み、別の反証を探し始めた。
そこで、あることに気づいた。私は間違えたのであり、その間違いに気づいた今、カントールの対角線論法の堅固さを、数学のほかの重要な定理以上に疑う理由など、まったくないのだと。
そのとき、実にはっきりとわかった。私は数学のトンデモ論者になり、残りの人生を、数学教授たちへ緑のインクで怒りの手紙を書いて過ごす機会を差し出されていたのだ。(数学のトンデモ論者についての本を読んだことがあった。)
そんな未来は望まなかったので、私は少し笑って、こだわりを手放した。カントールの対角線論法に幸あれと手を振って見送り、その後は二度と疑わなかった。
今となっては、それをそのとき思ったのか、後になって思ったのかは覚えていない……だが、13歳の子どもに課すには、なんと不公平な試験だったことか。すでにその年齢で、それほど合理的でなければならず、さもなければ落第だったのだ。
頭がよい人ほど、自分では本当に革命的だと思える考えを初めて抱く年齢が低いかもしれない。私は、自分で間違いに気づけた点で幸運だった。別の数学者に指摘してもらう必要がなく、そのために責める相手を外に見つけることもなかった。反証が自分にも理解できるほど単純だった点でも幸運だった。そうでなくても、いずれ立ち直れたかもしれない。大人になってからは、ずっとひどいことから立ち直ってきた。だが、あれほど早いうちに道を踏み外していたら、その能力を身につけることができただろうか。
緑のインクで怒りの手紙を書いている人のうち、最初の致命的な一歩を踏み外したときに13歳だった人は、何人いるだろう。それまでは将来有望な頭脳だった人は、何人いるだろう。
私は間違えた。それだけだ。本当は、根本のところでは正しかったわけではない。道義的な勝利を収めたわけでもない。大志や懐疑心、その他の素晴らしい美徳を示していたわけでもない。もっともな間違いだったわけでもない。半分正しかったわけでも、ほんのわずかでも正しかったわけでもない。もっと賢ければ決して抱かなかった考えを抱いた。ただそれだけのことだった。
このことを自分に認められなかったら、自分の間違いを美徳と解釈し直していたら、誇りのために少なくとも少しは正しかったと言い張っていたら、私は手放せなかっただろう。対角線論法の欠陥を探し続けていただろう。そして遅かれ早かれ、一つ見つけてしまっていたかもしれない。
自分が間違っていたと認めるまでは、人生を先へ進められない。自己像が、昔の間違いに縛られたままになる。
もっと賢ければ抱かなかったはずの考えにしがみつきたくなるたびに、あなたはトンデモ論者になる機会を差し出されている。緑のインクで怒りの手紙を書くことが一度もなくても、そうなのだ。誰もわざわざ議論を挑んでこなくても、あるいは自分の考えを誰にも話さなくても、それでもトンデモ論者ではありうる。それを決めるのは、しがみつくことなのだ。
それは正しくない。根本のところでも正しくない。半分正しいわけでも、少しだけ正しいわけでもない。そもそも抱くべきでなかった考え、それだけだ。どんな災いにも必ず救いがあるとは限らない。人は間違える。そのすべてが、姿を変えた成功というわけではない。人は間違える。そういうことは起こる。それだけだ。「しまった」と言って、人生を先へ進めよう。