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私はFast and Frugal派の見解の一部には賛成できない。私に言わせれば、彼らは酸っぱいレモンをレモネードに変えてみせようとすることが少々多すぎる。それでも、意思決定理論のどの学派よりも、心理学的に現実に即したモデルを作る傾向があるようにも思う。大半の実験では、被験者に選択肢を示し、被験者がその一つを選び、それが実験結果となる。だがFast and Frugal派は、実生活では選択肢そのものを生み出さなければならないと気づき、被験者がそれをどう行うのかを研究した。
同様に、多くの実験では証拠をお膳立てして与えるが、実生活では証拠を集める必要がある。それには費用がかかるかもしれず、どこかで、もう十分な証拠が集まったから探索をやめて選ぼう、と決めなければならない。家を買うとき、きっかり10軒の選択肢を与えられ、全部を案内されてからでなければ何も決めてはいけない、というわけではない。一軒を見て、もう一軒を見て、互いに比べる。希望条件を調整し、職場に近いことが本当にどれほど必要か、いくらまでなら本当に払う気があるか、考え直す。次はどの家を見るかを決める。そしてどこかで、もう十分見たと判断し、選ぶのだ。
ギロヴィッチが区別した動機づけられた懐疑と動機づけられた軽信は、人が信じたくない結論には、信じたい結論よりも高い基準が課されることを浮き彫りにする。動機づけられた懐疑者は、証拠によって結論を受け入れるよう強いられるのかと問う。動機づけられた軽信者は、証拠が結論を受け入れることを許してくれるのかと問う。
心理学的に現実に即した探索にも、これと似たバイアスがあるのではないか。それが動機に左右される打ち切りと動機に左右される継続だ。現時点での「最善」の選択肢を選ぶ隠れた動機があるとき、私たちには、探索をやめ、それを選び、それ以上の選択肢を検討しないための隠れた動機がある。現時点での最善の選択肢を退ける隠れた動機があるときには、追加の証拠がそろうまで判断を保留し、もっと選択肢を生み出すための隠れた動機がある。結論を出す代わりにできる何かを、何でもいいから見つけたいのだ。
統計学の歴史における大きな不祥事の一つは、この分野の著名な創始者であるR・A・フィッシャーが、喫煙と肺がんの因果関係は立証されていないと言い張ったことだった。「相関は因果ではない」と、彼は議会で証言した。喫煙者には、たばこを吸いやすくすると同時に、肺がんにもなりやすくする遺伝子があるのかもしれない、と。
あるいは、フィッシャーがたばこ会社の顧問として雇われていたことが、すでに集まった証拠では結論を出すには不十分で、調べ続けるほうがよいと判断する、隠れた動機を生んでいたのかもしれない。フィッシャー自身も喫煙者であり、1962年に結腸がんで亡くなった。
(人身攻撃的な付記:フィッシャーは頻度主義者だった。因果関係の蓋然性を推論する点では、ベイズ主義者のほうが理にかなっている。)
他の多くの動機づけられた懐疑と同じく、動機に左右される継続も、立派な合理性のふりをしようとすることがある。もっと証拠を集めることに、誰が反対できるというのか。私はできる。証拠を集めるにはしばしば費用がかかり、さらに悪いことに、時間もかかる。そして、すでに持っている証拠を取り込むのを拒むことに、何ら美徳はない。あとから考えを変えることは、いつでもできる。(一見した矛盾は、こう解消される。あらゆる結論を慎重に頭から取り除いて、問題の議論に1時間を使うのと、追加の2,000万ドル規模の研究を10年間待つのとは違う。)
動機に左右される打ち切りのほうは、第三の選択肢が恐れられる場所、自分の主張に対する明白な反論を見たくないと思う場所、そして他の場所にも現れる。行動しただけでよい気分になれる方針を実行し、それなりのお金を払って買った道徳的な満足の温もりが壊れるのを恐れるあまり、計画が実際にどれほど役に立ったか調べたくないときにも現れる。信念と予想がかみ合わなくなり、新しく集まる証拠を恐れる理由がある場所なら、どこにでも現れる。
教訓は、探索手順を(一時的にせよ永続的にせよ)終了する判断も、探索手順そのものと同じく、バイアスや隠れた動機の影響を受ける、ということだ。気持ちのよい結論に達して探索を打ち切ったのに、まだ手早く安く集められる証拠がたくさん残っているなら、動機に左右される打ち切りを疑うべきだ。訪問できるウェブサイトがある、検討できる反論への再反論がある、あるいは時計で5分を測りながら目を閉じ、もっとよい選択肢を考えようとしてすらいない、といった場合である。証拠が自分の好まない方向へ傾き始めたとき、不愉快な行動を取らなければならなくなる前に、もっと証拠が必要だ、と決めたなら、動機に左右される継続を疑うべきだ。しかもそれが、これから30分以内にGoogleで調べるようなものではなく、すぐには集められないとわかっている費用のかかる証拠なら、なおさらである。