汎用人工知能(AGI)について話すとき、最もよく聞く反論の一つが、「AGIは定義が曖昧だから、それについて大したことは言えない」というものだ。
以前の記事では、「数」や「自動運転車」という概念がそうだったように、何かについて有益な仕事をしていても、その厳密な定義をもっていないことはよくあると指摘した。
とはいえ、何について話しているのか、ある程度はわかっていなければならない。前回は「知能」の大まかな作業上の定義を示した。今回はAGIという概念を説明し、考えられる操作的定義もいくつか示す。
AGIという考え方
先に論じたように、「汎用知能」とは、領域をまたいで効率よく最適化する能力を指す。あるいは、ベン・ゲーツェルが好んで言うように、「限られた計算資源を使って、複雑な環境で複雑な目標を達成する能力」だ。ある領域で学んだことを、ほかの領域へ転用する能力も、汎用知能とよく結びつけられる考え方の一つである。
これを説明するため、汎用知能とは見なされないものを考えてみよう。
コンピュータは、ある課題では人間をはるかに超え、別の課題ではほぼ人間水準、また別の課題では人間に劣る性能を示している。Googleが試みているのかもしれないように、研究チームが、最高水準の「特化型AI」アルゴリズムを数多く一つのシステムに組み合わせられたとしても((The Registerのインタビューで、Googleの研究責任者アルフレッド・スペクターはこう語った。「私たちにはナレッジグラフ、自然言語を解析する能力、ニューラルネットワーク技術があり、ユーザーからフィードバックを得る膨大な機会もある……これらすべてを組み合わせ、人間が関わりながら継続的にフィードバックを与えれば、私たちのシステムは……知的になる。」スペクターはこれを「組み合わせ仮説」と呼んでいる。))、できるのは巨大な「寄せ集めAI」だろう。大半の課題は苦手で、一部は平凡、少数では人間を超えるというものだ。
寄せ集めAIと同様、一人ひとりの人間も、大半の課題では不得意か平凡であり、平均をはるかに上回れるのは、ごく少数の課題だけだ。((ただし、恵まれない状況にある多くの人々には、これは当てはまらないだろう。どの課題でも平均を大幅に超える成績を示すわけではないからだ。))もう一つ似ている点は、寄せ集めAIでも、人間と同じく、さまざまな特定の認知能力の間に相関が測定されるだろうということだ。人間についてのgやIQという概念は、そこから来ている。((現在、心理学者は一般に、個別の精神能力に加えて一般知能因子があることに同意している。現代的な総合理解の入門にはゴットフレッドソン(2011年)を、詳しくはスターンバーグとカウフマン(2011年)の冒頭の数章を参照。コズマ・シャリジの人気記事「g、統計上の神話」を読んだ方は、こちらとこちらの反論も読んでほしい。))つまり、寄せ集めAIにハードウェアを大量に追加すれば、それを使って、多くの異なる特化領域で同時に性能を高められるだろう。((心理学の因子分析は、人間同士の間で行われる。ここで私が示唆しているのは、基本的には同じソフトウェアを動かしながら、使える計算量が異なる寄せ集めAI同士の間でも、仮に同様の因子分析ができるだろうということだ。ただし、この類比を押し広げすぎてはいけない。たとえば、IQの高い人の脳が、ほかの人よりずっと大きいわけではない。))
一方、この寄せ集めAIは、まだ汎用知能をもってはいないだろう。ある程度任意の環境で、ある程度任意の問題を解けるとは限らず、ある領域での学習を別の領域へ転用できるとも限らないからだ。
AGIの操作的定義
もっと具体的にできるだろうか。汎用知能という考えを操作的に定義するのが難しいのは、確かだ。以下では、AGIの操作的定義を4つ、難易度が高まると見られる順に検討する。
チューリングテスト(賞金10万ドルのローブナー賞による解釈)
チューリングテストはチューリング(1950年)が提案したもので、さまざまな解釈がある(ムーア、2003年)。
その具体的な解釈の一つが、賞金10万ドルのローブナー賞の受賞条件だ。1990年以来、ヒュー・ローブナーは、毎年のローブナー賞コンテストで、このテストに初めて合格するAIプログラムに10万ドルを出すとしている。毎年、最もよい成績のAIプログラムには少額の賞金が贈られるが、10万ドルの賞を取れるほどの成績を収めたプログラムは、まだない。
10万ドルの賞を取るための正確な条件は、2万5000ドルの「銀賞」を獲得するプログラムが現れるまで定められないが、それもまだ実現していない。ただし、おおよそ次のような条件になることはわかっている。プログラムが審査員と30分間自由に会話し、かつ音声・映像の入力も解釈しながら、審査員の半数に人間だと思わせられれば、10万ドルを獲得する。
コーヒーテスト
ゲーツェルほか(2012年)は、AGIの操作的定義の候補として、おそらくそれより難しい「コーヒーテスト」を提案している。
平均的なアメリカの家に入り、コーヒーをいれる方法を見つける。コーヒーメーカーを見分け、ボタンの働きを理解し、戸棚の中のコーヒーを探す、といったことも含む。
ロボットがそれをできるなら、汎用知能をもつと考えるべきなのかもしれない。((コーヒーテストは、「初めての家に入って一杯のコーヒーをいれられるロボットをつくる」ことは決してできない、というスティーブ・ウォズニアックの予測に着想を得たものだ(アダムズほか、2011年)。ウォズニアックがもともとこの予測を述べたのは、2007年7月19日付のPC Worldの記事「スティーブ・ウォズニアックとの3分間」である。))
ロボット大学生テスト
ゲーツェル(2012年)は、おそらくさらに難しい操作的定義として、「ロボット大学生テスト」を提案している。
ロボットが人間の大学に入学し、人間と同じように授業を受け、学位を取得できるようになったら、そのとき私は、私たちは……汎用人工知能をつくった、と[言う]だろう。
就労テスト
AIの創始期の研究者の一人、ニルス・ニルソンはかつて、「人間水準のAI」、つまりここまで私がAGIと呼んできたものについて、さらに厳しい操作的定義である就労テストを提案した。
真に人間水準の知能を示す機械なら、人間にできることの多くをできるはずだ。その活動には、人が雇われて行う課題、すなわち「仕事」も含まれる。私は、チューリングテストを、私が「就労テスト」と呼ぶものに置き換えることを提案する。就労テストに合格するには、AIプログラムは……経済的に重要な仕事を[完全に自動化する]、少なくとも潜在的な能力を[もって]いなければならない。((当初ニルソンは、就労テストに合格するには「AIプログラムは、人間が通常行っている仕事を遂行できなければならない」と提案している。しかし後には、その規定を修正する。「就労テストの目的からすれば、人間の仕事が実際に自動化されるかどうかという問題は回避できる。代わりに、それを自動化する能力があるかどうかを試せばよい、と私は提案する。」この修正を提案する理由の一つは、「馬車用の鞭の製造がそうだったように、今日の仕事の多くはいずれ消えてしまうだろう」からである。))
この操作的定義をさらに整えるには、「経済的に重要な仕事」の標準的なリストを用意し、それぞれについて専用の職業能力試験をつくって、その成績を測ればよい。たとえば米国の商用運転免許なら、筆記と運転の両方の試験がある。
これは少し「不公平」だ。経済的に重要な仕事の長いリストに対応する職業能力試験を、一人の人間がすべて通れるとは思えないからである。一方、並外れて優秀な人々なら、一生をかけてそれぞれの技能を訓練すれば、全試験、あるいはそのほぼすべてに合格できる人は相当数いるかもしれない。AGIにはほぼ完全な記憶、高い思考速度、睡眠が不要といった利点がある。もし、私たちがここで操作的に定義しようとしている種類の汎用知能をもつなら、必要な全技能をはるかに速く自ら訓練できるだろう。
未来は霧の中にある
これらのAGIの操作的定義のうち、一つかそれ以上に説得力を感じるかもしれない。しかし歴史を振り返れば、少し謙虚になるべきだとわかる。
数十年前、第一線のAI研究者の何人かは、チェスで人間水準の成績を収めることは、AGIに匹敵する達成だと考えていたようだ。ニューウェルほか(1958年)は、こう述べている。
チェスは、これ以上ないほど典型的な知的ゲームだ……うまく機能するチェス機械を考案できれば、人間の知的営みの核心へ踏み込んだと言えるだろう。((少しあとで、彼らは留保も加える。「ただ、何かの仕掛けが[ある]かもしれない……人間の脚に対する車輪のようなものだ。方法は人間とまったく違うが、そのやり方ではきわめて有効で、おそらく非常に単純な装置である。そのような装置は優れたチェスを指せるかもしれないが……人間の知的過程についての理解は深めてくれないかもしれない。もちろん、それ自体として発見する価値はあるだろう。しかし、そのようなものは何も見当たらない。」))
1976年になっても、I・J・グッドは、コンピュータチェスでの人間水準の成績はAGIへのよい道標だと主張していた。「グランドマスター級の強さをもつコンピュータプログラムができれば、[機械の超知能]は目と鼻の先になる」と書いている。
しかし機械は約15年前に、人間の最強のチェスプレイヤーを超えた。それでもAGIまでは、なお数十年あるように見える。
自動運転車の驚くべき成功も、謙虚さを教えてくれるかもしれない。もし私が1960年代のAI研究者だったなら、Googleの自動運転車ほどの能力をもつ車ができたら、AGIの到来を意味すると考えたとしても不思議ではない。何しろ、自動運転車はきわめて複雑で、絶えず変化し、不確実な環境、つまり現実世界で、高い自律性を保ちながら高速で動かなければならない。また、まれには、哲学のトロッコ問題のような本物の道徳的ジレンマにも直面する。しかし実際には、Googleは、1960年代の私には思いつかなかったかもしれない一連の「裏技」を使って自動運転車をつくった。たとえば、車をつくる前に、国内のほぼすべての道路、高速道路への進入路、駐車場を高精度で地図にしておいたのだ。
結論
では、AGIのよい操作的定義は何か。個人的にはニルソンの就労テストに傾いているが、あなたがAGIについて話すときには、別のことを念頭に置いているかもしれない。
AGIが近づくにつれ、今後20年のどこかで、新しい作業上の定義を選ぶことになるだろうと思っている。ただ、今のところはニルソンの操作的定義で十分だ。
謝辞
この記事への意見を寄せてくれたカール・シュルマン、ベン・ゲーツェル、エリエゼル・ユドコウスキーに感謝する。