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対応バイアスとは、ある人の行動が、起きた状況だけで完全に説明できるにもかかわらず、その行動から、その人に固有で持続的な性向を推論する傾向である。
私たちは、他人の行動と人格の間に、あまりにも直接的な対応を見がちである。誰かが、目に見える理由もなく自動販売機を蹴ると、その人は「怒りっぽい人」だと考える。だが自分自身が自動販売機を蹴るのは、バスが遅れ、電車が早く来て、報告書の締切を過ぎ、しかも今度は、忌々しい自動販売機が二日連続で昼食代を飲み込んだからだ。当然、とあなたは考える。あの状況なら、誰だって自動販売機を蹴るだろう。
私たちは自分の行動を、自分の状況に帰属させ、自分の振る舞いを経験に対する完全に正常な反応として見る。だが誰か別の人が自動販売機を蹴るとき、その人の過去の経歴が、後ろの空中をたなびいているのは見えない。私たちに分かる理由もなく蹴るところだけを見て、挑発されてもいないのに当たり散らしたのだから、生まれつき怒りっぽい人に違いない、と考える。
しかし、事前確率を考えてみよう。世界には、異常に高い怒りの水準を持って生まれ、ときどき自発的に自動販売機を蹴る突然変異体より、遅れるバスのほうが多い。ところで平均的な人間は、実際、突然変異体である。私の記憶が正しければ、平均的な個人は、体細胞で発現する突然変異を二〜十個持つ。だが、DNA上の特定の位置が影響を受ける可能性はきわめて低い。同じく、ある人の性向の特定の一面も、おそらく平均からそれほど遠くない。それ以外を示唆するなら、ありそうになさという負担を背負うことになる。
状況による原因を明示的に知らされても、人は観察した行動を適切に割り引かないようだ。中絶賛成または中絶反対の話者が、その立場で演説するよう無作為に割り当てられたと被験者に伝えても、なお被験者は、話者が無作為に割り当てられた方向へ傾いていると考える。2
雨を水の精霊で説明すること、火を、燃える物質から火の素(フロギストン)が抜け出すことで説明すること、薬の催眠作用を「催眠力」を含んでいると言って説明することは、かなり直観的に思える。現実には通常、もっと複雑な仕組みが関わる。雨の根底には蒸発と凝結の循環があり、火の根底には酸化燃焼があり、催眠薬には神経系との化学的相互作用がある。だが仕組みは本質より複雑に聞こえる。考えつきにくく、想起可能性が低い。だから、誰かが自動販売機を蹴ると、生得的な自動販売機蹴り性向を持つと考える。
機械を蹴る「誰か」が自分自身なら話は別である。その場合、状況を考えれば自分は完全に正常に振る舞っており、ほかの誰でも同じことをしたはずだ。実際、私たちは、他人も自分と同じように反応する可能性を過大評価する。「偽の合意効果」である。酒を飲む学生は、仲間の学生が飲酒する割合を大幅に過大評価するが、飲まない学生は大幅に過小評価する。「根本的な帰属の誤り」とは、他人の行動をその性向へ過剰に帰属させながら、自分自身についてはこの傾向を逆転させることを指す。
人々がなぜそのように行動するかを理解するには、まず、誰もが自分を正常に振る舞っていると見ていることを理解しなければならない。表面の行動に直接対応する、どんな奇妙な突然変異的性向を持って生まれたのか、と問うてはならない。むしろ、人々が自分をどんな状況にいると見ているかを問おう。確かに人は性向を持つ。だが、目にするすべての表面上の行動を直接説明できるほど多くの遺伝可能な性向上の奇癖は存在しない。
赤いボタンと緑のボタンが一つずつある操作盤を、私があなたに渡したとしよう。赤いボタンは世界を破壊し、緑のボタンは赤いボタンが押されるのを止める。どちらを押すだろう? 緑だ。違う答えを出す人は、おそらく問いを複雑にしすぎている。
それでも人は、ときどき私に、なぜ世界を救いたいのかと尋ねる。私に傷を残す幼少期か何かがあったに違いない、とでもいうように。実際のところ……状況をそのように見るなら、かなり明白な決断に思える。
私には、説明を要する平均的でない見解があるかもしれない——大半の人が信じないことを、なぜ私は信じるのか?——だが、そうした信念を前提とすれば、私の反応は例外的な説明を要求しないように思える。私は偽の合意の犠牲者かもしれない。状況をそのように見た場合、緑のボタンを押す人の数を過大評価しているかもしれない。それでも、少なくともかなりの少数派はいるほうに賭ける。
大半の人は、内側から見れば、自分を完全に正常だと思っている。あなたが憎む者も、恐ろしいことをする者も、例外的な突然変異体ではない。残念ながら、突然変異は必要ない。このことを理解すれば、人間の出来事に驚かなくなる用意ができる。
ダニエル・T・ギルバート、パトリック・S・マローン「対応バイアス」『Psychological Bulletin』117巻1号(1995年)、21–38頁、http://wjh-www.harvard.edu/~dtg/Gilbert%20&%20Malone%20%28CORRESPONDENCE%20BIAS%29.pdf。 ↩
エドワード・E・ジョーンズ、ヴィクター・A・ハリス「態度の帰属」『Journal of Experimental Social Psychology』3巻(1967年)、1–24頁、http://www.radford.edu/~jaspelme/443/spring-2007/Articles/Jones_n_Harris_1967.pdf。 ↩