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私がこう言ったとしよう。「実に奇妙な話なんだ。このホテルのランプには三角形の電球がついている」
あなたはそれを思い描いたかもしれないし、まだかもしれない――まだなら、今やってみてほしい――心の目に映る「三角形の電球」は、どんな見た目だろうか。
心の目に映ったガラスの縁は鋭かっただろうか、それとも滑らかだっただろうか。
「三角形の電球」という句が初めて私の頭をよぎったとき――いや、そのホテルにそんなものはない――、内観で判断できた限りでは、私はまず縁の鋭いピラミッド形の電球を目にし、次に(ほとんどすぐに)その縁が滑らかになり、それから代案として、滑らかな三角形をなす蛍光管の輪を心が生成した。
私にわかる限り、熟慮した思考や言語的思考はまったく関わっていなかった。ただ、鋭いガラスという想像上の心像から、言葉を介さず反射的に身を引いただけであり、その設計上の問題は、私が言葉で考える間もなく解決された。
信じられないかもしれないが、人は心のなかに本当に心像を持っているのか――どこかに椅子の実際の絵があるのか――それとも、人は心像を持っていると素朴に思っているだけで(非常に悪い禁断の活動である「内観」に惑わされており)、実際にはLISPのトークンのような小さな「椅子」というラベルが脳内で活性化しているだけなのかをめぐり、数十年にわたって真剣な論争があった。
私は「なんと途方もなく馬鹿げているのか」のようなことを言わないよう懸命に努めている。考慮すべき後知恵効果が常にあるからだ。しかし――なんと途方もなく馬鹿げているのか。
この学問的パラダイムは、主として行動主義の錯乱した遺産だったのだと思う。行動主義は人間に思考が存在することを否定し、発話を含むあらゆる人間現象を「反射」として説明しようとした。行動主義は合理主義を歪めたものだったので、いつかそれだけで一本の記事に値するだろう。しかし、これはその記事ではない。
「あなたはそれを『馬鹿げている』と呼ぶ」とあなたは尋ねる。「だが、あなたの脳が視覚像を表現していると、どうしてわかるのか? 単に、目を閉じればそれが見えるからか?」
この質問は、論争があった当時には今より答えるのが難しかった。内観によってではなく、心像の存在を「科学的に」証明したければ、次のような実験から心像の存在を推論しなければならなかった。被験者に二つの物体を見せ、一方を回転させてもう一方と一致させられるかを尋ねる。反応時間は、必要な回転角度に線形比例する。実際に像を視覚化し、それを一定の速度で連続的に回転させているなら、これは簡単に説明できる。しかし、像の命題的な特徴を照合しているだけなら、説明するのは難しい。
今日では、視覚野にある小さな絵を実際にニューロイメージングできる。そう、あなたの脳は、見たり想像したりするものの詳細な像を本当に表現している。スティーヴン・コスリンのImage and Brain: The Resolution of the Imagery Debateを参照されたい。1
人が言葉で問題を起こす理由の一つは、言葉の背後にどれほどの複雑さが潜んでいるかを理解していないことである。
「緑色の犬」を思い描けるだろうか。「チーズのリンゴ」を思い描けるだろうか。
「リンゴ」は、四つの文字や三つの音だけではない。それは影である。虎の尻尾の先にすぎない。
言葉――というより、その背後にある概念――は絵筆であり、それを使って自分の心に像を描ける。概念を用いて視覚野に絵を作るなら、文字どおり描くのである。そして共有されたラベルを使えば、他人の心へ手を伸ばし、その人の絵筆をつかんで、その人の心に像を描ける――視覚野に小さな緑色の犬を素描できる。
ただし、音節を空気に乗せたり、文字をインターネットに乗せたりして送るからといって、視覚野に絵を描くのが音節や文字なのだと思ってはいけない。絵を描くには、その文字列には収まらない複雑な指示が必要である。「apple」は5バイトだが、何もないところからリンゴの絵を描くには、それより多くのデータが必要になる。
「リンゴ」は、真の、言葉を持たないリンゴ概念につけられたタグにすぎない。その概念は、視覚野に絵を描き、「チーズ」と衝突し、目にしたリンゴを認識し、アップルパイのなかにその原型の味を感じ、おそらくはリンゴを食べる運動行動さえ送り出す……。
しかも、単に記憶から絵を呼び出すほど単純ではない。そうでなければ、「三角形の電球」のような組み合わせをどうして思い描けるのだろうか。生涯一度もそんなものを見たことがなくても、電球に三角形らしさを課し、両方の本質を保てるのはなぜだろうか。
行動主義者と同じ間違いをしてはいけない。発話には、空気中の音よりはるかに多くのものがある。ラベルは単なるポインタ――「記憶領域1387540を見よ」――である。ポインタを渡されたなら、遅かれ早かれそれを参照解決し、実際に記憶領域1387540を見る時が来る。
言葉は何を指しているのだろうか。
Stephen M. Kosslyn, Image and Brain: The Resolution of the Imagery Debate (Cambridge, MA: MIT Press, 1994). ↩︎